日本ブライト旅行社長のブログ
 
栃木県佐野市の旅行会社社長のひとり言です。
 


2007年5月9日を表示

修学旅行の拡大に意欲

南京、揚州、鎮江の三都市
修学旅行の拡大に意欲、双方向交流拡大に期待

中国江蘇省の南京、揚州、鎮江市の観光関係のミッションが来日、三都市を代表して挨拶に立った南京市旅遊局副局長の鄭暁明氏は、「観光客に加え、青少年旅行の拡大を進めていきたい」と語り、双方向の若者が交流を拡大することに期待を示した。日中両国の政府間では青少年交流拡大が謳われており、日中首相の双方向の訪問で両国の関係が上向きであることに加え、2006年の南京への日本人訪問者数の実績も前年比約20%増の8万7000人と好調に推移している。

今回の来日で旅行各社から南京とその周辺地域への修学旅行の訪問に関する問い合わせが増えているといい、日本からの修学旅行生誘致に手ごたえをみせる。
鄭氏は、2006年11月に東北高校の生徒600名が修学旅行で南京市を訪れ、現地の外国語学校と交流し、今年も実施が決定したことを紹介した。

 さらに、三都市が協力してきたサービスの向上や安全強化の施策展開、南京でこのほど開かれた日中の平和と修学旅行のシンポジウムで南京の文化や教育の発達が高く評価されたこと、鑑真和上の故郷であり孫文の墓・中山陵など歴史文化、自然の豊富な観光資源などの魅力をアピールして、交流拡大を目指す。
また、観光説明会では、新たな観光資源として歴史ある温泉文化や国際レベルのゴルフ場なども紹介した。

日中国交正常化35周年
そして、北京オリンピックへと中国バブルはまだまだ続く。



5月9日(水)21:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | 旅行業界情報 | 管理

05月09日(水) 訪問者

・〒413-0232 静岡県伊東市八幡野1105-122
 伊豆名産品センター 八八ひもの 佐藤様

昔を今にこだわりの自家製天日干しひものを豊富に取り揃えています。是非、伊豆に来たらお立寄りください。

・天城荘 営業部営業課 内山芳郎様
http://www.amagisou.jp
料理は、自慢できませんがお風呂自慢の宿です。
もう一つ自慢が露天風呂付客室です。



5月9日(水)19:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | 旅行業界情報 | 管理

5月9日(水)

ゴールデンウイークも終わり、いよいよ。

教育旅行の春の総合学習がスターと致しました。
(遠足や修学旅行)

今朝は、管内の小学校の遠足です。



児童の皆さんが「新○年生!」で張り切っている姿が頼もしく可愛らしく思いました。

バス会社様は、北関東観光様です。
児童の方々が「新しくてきれい!」「かっこいい!」「背が高い!」と乗車しながらはしゃいでいました。



年式の良いバスをご提供していただきありがとうございます。社員教育に熱心なバス会社様です。

また、弊社のパートナーです。ご安心してご利用ください。

↓  到着後の忘れ物やお気付きの点の感想などをFAXにて学校へお送りましたところありがたい回答を頂きました。



5月9日(水)10:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | 添乗報告  | 管理

ビジョナリー・ピープルへの道

現代の企業は、実に多くのステークホルダー(利害関係者)と関係を持ちながら成立していいます。

顧客や株主、従業員のみならず、取引先、求職者、投資家、金融機関、そして地域住民……。これらステークホルダーに対して、企業は常に具体的かつ実効性のある行動をとることが求められ、その重要性も増しています。

つまり、企業は明確なメッセージを常に発信していかなければならない。そのためには、企業で働く1人1人が確固としたビジョンを持つ必要です。



「かつて、ビジネスマンの間で『ビジョナリー・カンパニー』というアメリカのビジネス書が注目されました。ところがよく考えると、企業を支えるのは個々の社員やスタッフ、つまり“人”なのです。企業の繁栄も衰退も、結局は人に起因します。だから、まずは人がビジョンを持つ必要があるのです。現在、業績を伸ばしている企業を見てみると、リーダーが常にしっかりとしたビジョンを持ち、苦しい時代も自社だけの利益を超えた“社会”を見据えてビジネスを展開してきました。

その結果が、現在に現れているのです。

ビジョナリー・ピープルになるには、次に挙げる3つの要素が不可欠です。

第一要素は「意義を見出すこと」。
自分が取り組んでいる仕事が意義あることなのか、またどんな意義があるのかを見出さなければ、将来へ続く成功は果たしえない。そのためには、自分自身の価値基準を築き、情熱を持って取り組むべきものは何かを明確にするべきだ。そうしないと周囲の動向に振り回され、何をしても統一性が取れなくなるので、意識や行動がブレてしまう。

第二要素は、人一倍の責任感や情熱、大胆さ、責任をともなう楽観主義などを併せた「思考スタイル」を持つことである。
創造力のある思考スタイルは、意義を具体的なものにし、行動へと結びつかせることです。

第三要素が「行動スタイル」
自分が見出した意義を想像力のある思考によって具体化し、“効果的な行動”に移すことです。

以上の3つの要素の調和を保つことが、ビジョナリー・ピープルへの道です。



「ビジョナリー・ピープルになる過程で注意したいのは、一人よがりになることを防ぐためにも、部下たちに自分のビジョンを説明していく必要があります。その際は、必ず分かりやすい言葉で、繰り返し言い続けること。それこそ“小学生にも分かるように”説明してください。そして、このように他者へ説明しながら実践していくことで、部下や組織のビジョナリー・ピープル化も進行していきます」

 これからの時代、リーダーは明確なビジョンと価値基準を持ったビジョナリー・ピープルとして、部下や組織を導いていかなくてはならない。とはいえ、判断に迷うことも多々あることだろう。そこで『ビジョナリー・ピープル』に掲載されている名言の中から、特にリーダーが心に留めるべき言葉を紹介しよう。

「我々は1人1人、ある成功の基準に到達するために自分なりの方法を模索しなければならない」
(ジミー・カーター)

「もし取り組むだけの価値があるなら、そのときはなんとしても、取り組むだけの価値があるように扱うべきだ」
(ネイディーン・ストロッセン)

「打ち込む価値のあるもので、1人の力だけで成し遂げられるものなんて1つもない」
(エレナー・ジョサイティス)



5月9日(水)09:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | こころに残る言葉 | 管理

アジアの歌姫13年回忌

2007年5月8日は「アジアの歌姫」と親しまれたテレサ・テンの13年回忌になる。

07年はテレサに関連する催しが「10回忌以上」に多い。

中国の桂林にテレサ・テン公園が完成、かつて排斥されたテレサの歌も、いまや中国では自由に聴くことが出来る、そんな時代になった。
07年6月2日にはテレビ朝日系列で「スペシャルドラマ、テレサ・テン物語」が放送される予定です。
原作は有田氏の「私の家は山の向こう テレサ・テン10年目の真実」。




有田芳生(ありた・よしふ)1952年京都生まれ。フリーランスのジャーナリスト。日本テレビ系の「ザ・ワイド」に出演。著書には『私の家は山の向こう テレサ・テン十年目の真実』(文藝春秋)、『「コメント力」を鍛える』(NHK生活者新書)など。

07年3月に文春文庫で発売された。
日生劇場では、07年5月4日から22日まで、テレサをモデルにした演劇「何日君再来(いつのひかきみかえる)」を公演、これは大阪公演へと続く。
また、「テレサ・テントリビュートコンサート」が東京、神奈川、兵庫で開かれ、アグネス・チャン、マルシアらが参加しています。

テレサ・テン13年目の真実の一端を、有田氏が書いた。

「事件を思い出すと歌えないのです」
ノンフィクションライター 有田芳生
テレサ・テンがタイのチェンマイで急死したのは、1995年5月8日。ニューヨークタイムズでも「アジアの歌姫」の突然の訃報が掲載された。日本はオウム事件で騒然としているときのことだ。麻原彰晃が逮捕されたのは、それから8日後のことである。わたしはカルト問題を取材していたことで情況に巻き込まれていた。それでも台北で行われた葬儀に参列したのは、テレサの人生を書くことを本人と約束していたからだ。テレサと最後に会った日本人でもあった。葬儀には台湾だけでなく中国大陸や香港からもファンが集まり、その数は3万人を超えた。遺影は微笑みを浮かべている。素顔のテレサがそこにいた。
わたしがテレサに最初に会ったのは92年7月。フジテレビの地下にある控室でのことだった。番組収録を終えた彼女はこぼれるような笑顔で現れ、ピースサインをすると握手をしてきた。写真で見ていたテレサよりもふくよかさが増しているようだった。そんな視線を感じたからだろう。「ダイエットしているんですけどね」と明るく笑うのだった。パリでの暮らしぶりを語る彼女はとても楽しそうだった。ところが質問で3年前に北京で起きた天安門事件に触れたとき、小さな変化が起きた。
快活に語っていたテレサの表情が急に曇ったのだ。笑顔から哀しみへ。まぶたには涙の粒が光っていた。

「事件を思い出すと歌えないんです……」
沈んだ小さな声でそう語った。一昨年パリを再訪したとき、事件当時にパリへ亡命した女性から貴重な映像を手に入れた。「天安門事件3周年」にトロカデロ広場で行われた抗議集会の私的記録だ。そこに喪服を着たテレサの姿があった。司会にうながされてマイクを持った彼女は右手を振り上げ「圧制に妥協するな」と叫んでいる。天安門の学生たちに流行した「血染的風采」(血に染められた姿)を参加者と歌うとき、何度も目頭をぬぐっていた。
テレサ・テンの笑顔とたおやかさを奪ったもの――それが天安門事件だった。最後の来日となった94年10月、仙台にある県民会館の控室前で彼女はわたしにこう言った。

「これからわたしの人生のテーマは中国と闘うことです」
体調が最悪だったこともあるだろう。か細い声だった。日本では「時の流れに身をまかせ」「別れの予感」「つぐない」などで知られる歌手の内奥には、不義を許せないという強い信念が燃えたぎっていたのだ。天安門事件の直前に香港で行われた民主化支援集会。そこに駆けつけ生涯で一度だけ人前で歌った「私の家は山の向こう」。



かつて「精神汚染」として排斥されたテレサの曲は、「山の向こう」=中国ではいまや自由に聴くことができる。桂林ではテレサ・テン公園も完成した。北京ではファンクラブが公然と活動をしている。テレサの曲を歌う女性歌手も現れた。テレサが存命ならあの明るい笑顔でピースサインをしながらこう言うだろう。
「アリタさん、わたしの闘いはまだ続きますよ」

※テレサ・テンが最後の住処としたパリのマンションで、ベッドの枕元に貼られていた写真です。



5月9日(水)00:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | 社長日記 | 管理


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