日本ブライト旅行社長のブログ
 
栃木県佐野市の旅行会社社長のひとり言です。
 


こころに残る言葉
~説明~
人生の中で幾つかの自分にとって大切な言葉との出逢いがあるそれを忘れずにいたいから・・・・

学校では教えてくれない人生に役立つ11のルール

ビル・ゲイツがある高校で講義した、「学校では教えてくれない人生に役立つ11のルール」を紹介します。

実際は、彼自身の言葉ではなく、チャールズ・J・サイクスの著書「Dumbing Down Our Kids」から抜粋し引用したものだそうです。

欧米的なルールではありますが、なかなか的を射た内容のものです。



1.人生は公平ではない。それに慣れよ。

2.世界は君の自尊心を気にかけてはくれない。君の気分に関係なく世界は君が仕事を終わらせることを期待している。

3.高校を出てすぐ6万ドルの年収を稼ぎはしない。携帯電話(当時は高かった)を持った副社長にもならない。自分で両方を稼ぎ出すまでは。

4.先生が厳しすぎると思うなら、上司を持ってみろ。

5.ハンバーガーを引っくり返すということは沽券(こけん)にかかわることではない。君たちの祖父母はハンバーガーを引っくり返すことを別の表現を使った。それはチャンスと呼ばれた。

6.君が失敗したらそれは両親のせいではない。文句を言わずに学べ。

7.君らが生まれる前は、君らの両親は今のように退屈な人たちではなかった。そんな風になったのは、君らのために支払いをし、服を洗い、君らがどんなにいけてるか、という自慢を聞いているうちにそうなったのだ。親の時代から生存する寄生虫から森を守る前に、自分の洋服ダンスのダニ駆除から始めよう。

8.学校は勝者・敗者を決めなくなったかもしれないが、人生は違う。学校によっては君が落ちこぼれないようにしてくれたり、正しい答えが導き出せるまで、何度でも機会をくれる。実際の人生とは全く似ても似つかない。

9.人生は学期ごとに分けられていない。夏休みは無いし、ほとんどの雇用主は君が自分を見出すことに興味を持たない。それは自分の時間にやれ。

10.テレビは本当の人生ではない。 現実では、人は喫茶店にいつまでもいられるわけはなく、仕事に行かなくてはいけないのだ。

11.オタクには親切にしよう。彼らの下で働く可能性が高い。

本の出版は、1995年。
ビル・ゲイツのスピーチが2000年です。
重く厳しい言葉もありますが、ビル・ゲイツの口から語られてると思うと、かなりの説得力を感じたと思います。

最後のルールをビル・ゲイツ自身が語るのは何とも面白い気がします。



1月15日(土)07:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | こころに残る言葉 | 管理

風の中に立ちなさい。二十歳の出発に乾杯。

成人の日恒例、サントリーの新聞広告。
伊集院静さんになってと題された今年のメッセージです。

風の中に立ちなさい。

大人って何だ? 大人とは、一人できちんと歩き、
自分と、自分以外の人にちゃんと目をむけ、いつでも
他人に手を差しのべられる力と愛情を持つ人だ。
簡単に言ったが、そういう人間になるのは大変だぞ。
君が大人になるためにひとつ助言をしておこう。
ホモサピエンスは世界を一人で歩くこと、見ることで
すべてを学んできた。これは千年先もかわらぬ大人への授業だ。
まずはケータイを置きなさい。インターネットを閉
じなさい。テレビを消しなさい。パスポートを取得
して、一番安い乗物ですぐ日本を発ちなさい。
目的地は?どこだっていい。

この国以外の、風の中に立ちなさい。
世界を自分の目で見ることからはじめなさい。そこには
君がインターネットやテレビで見たものとまったく違
う世界がある。目で見たすべてをどんどん身体の中に
入れなさい。そこに生きる人々が何を食べ、何を見つめ、何を
喜び、何のために汗をかき、なぜ泣いて
いるかを見なさい。ともに食べ、ともに笑い泣き
なさい。それだけで十分だ。
でもラクな日々ではないぞ。苦しい中にこそ本物は
あるんだ。
やがて帰る日が来た時、君は半分、大人になっている。
その時こそ、本当の大人への祝杯をあげよう。

二十歳の出発に乾杯。



大人になるのは大変ですね。
新成人へのメッセージは、既に大人になったと言われる私たちへのエールでもあるように思えます。

成人した頃、パスポートを取得し風の中に立った。
それから、世間ではおじさんと言われる年齢になり、長男が来年成人式を迎えます。お前が二十歳になったなら。。。。「野風僧」が歌えそうです。

1988年から1992年の渡航歴です。
随分と色々な国へ行きました。



1992年11月から1997年11月までの渡航歴です。


1998年から現在の渡航歴です。

がんばれ、みんな!!
私達は、旅行を通して得たいろいろなことを、皆さんに伝えたいと願っています。             はじめて旅行に出かけたとき、それまで自分の街しか知らなかった人は、まるで別の国に来たようなショックを受けるでしょう。
その時、世界が広いことを知ることになるでしょう。

私も世界各国を行くにつれて、また別の素晴らしい世界があることも分かってきたのです。
小さな町で暮らしているとどうしてもその周辺だけしか知らないので、視野が狭くなってしまう。だから、夢を持てないというか、夢の持ち方が分からなくて、せっかくの才能を生かし切れないでいるこどもたちが多いみたいだね。

さあ、皆さん、世界に目を向けよう。
素晴らしい世界や人生がみんなを待っているよ。   
一人ひとりが立派な才能を持っているんだ。その能力を一生懸命がんばって、明るく輝こう。

そして今住んでいる街が、もっと好きになり誇りに思えるだろう!



1月10日(月)15:44 | トラックバック(0) | コメント(2) | こころに残る言葉 | 管理

Golden Mean(ゴールデンミーン)

孔子


GOLDEN MEAN=中庸(ちゅうよう)


『論語』のなかで「中庸の徳たるや、それ至れるかな」と孔子に賛嘆(さんたん=深く感心してほめること)されたのがその文献初出と言われています。

それからは、儒学の伝統的な中心概念として尊重されてきました。たが、その論語の後段には「民に少なくなって久しい」と言われ、この「過不足なく偏りのない」徳は修得者が少ない高度な概念であります。



アリストテレス

古代ギリシャでは、アリストテレスの「メソテース」と
いう言葉でそれを倫理学上の一つの徳目として尊重しています。
また、仏教の中道と通じる面があるとも言われますが、仏教学者によれば違う概念であるとも言われています。

現在「四書」の一つとして広く知られている『中庸』は、もともと『礼記』の中の一篇文章として伝えられてきたものです。子思の作であると言われています。
古くから有名な作品として人々に読まれ『大学』が四書の入門であるのに対し、『中庸』は四書の中で最後に読むべきものとされ、初めて『中庸』を表彰したのは南朝宋の戴顒(378~441)であるとされています。
彼が『礼記中庸伝』を書いたのです。

宋代になると、有名な学者、政治家などが次々と『中庸』の注釈を著し、司馬光、范祖禹、蘇軾、程顥、著名な人びとの専著は十指にのぼります。

この中で、もっとも知られているのは朱子の『中庸章句』です。
※四書とは、儒教の経書のうち『大学』『中庸』『論語』『孟子』の4つの書物を総称したもので、四子(しし)・四子書(しししょ)とも言われています。

『中庸』では、「中庸」の徳をくわしく解説し、『中庸』以外に、「誠」、「性」、「道」、「慎独」など多くの概念についても述べています。
この中で、「誠」は「中庸」よりも一層重要な概念であることも言われています。

「中庸」の「中」とは、偏らない、しかし、決して過不及の中間をとりさえすればよいという意味ではなく、よく、中途半端や50対50の真ん中の中間、平均値、足して2で割るという意味ではなく、常に、その時々の物事を判断する上でどちらにも偏らず、かつ平凡な感覚でも理解できるものであるとしています。



「庸」については、朱子は「庸、平常也」と「庸」を「平常」と解釈している鄭玄は「・・・庸猶常也言徳常行也言常謹也」と「庸」を「常」と解釈しています。

「庸」が「常」という意味を含んでいることは二人とも指摘し、現在、多くの学者たちは「庸」が「平凡」と「恒常」との両方の意味を含んでいると見ています。

中庸の徳を常に発揮することは聖人でも難しい半面、学問をした人間にしか発揮できないものではなく、誰にでも発揮することの出来るものでもあります。
恒常的にいつも発揮することが、難しいことから、中庸は儒教の倫理学的な側面における行為の基準をなす最高概念であるとされています。

天の命これを性(さが)と謂(い)い、性に率(した)がうこれを道と謂い、道を修(おさ)むるこれを教えと謂う。

天が人に授けたものを人の性という。その人性の自然に従うこと、これを人の道という。その道を修めること、これを教えという。

天命之謂性、率性之謂道、脩道之謂教。(中庸)

孔子の『中庸』、最初に出てくる言葉である。
天には一つの考えが有り、目的が有り、その目的から命令を出して、かくあれと人間に与えられたもの、それが人間に与えられた、それが人間の性(さが)であり、その『性に率(したが)う』、つまり人情に従うことが人間の道であり、その人間の道を修めるのが人間の教育でです。

ここに言っている教育とは、誰かに教えを請う物ではなく、あくまで人間自身に本来備わっている素質に気付く事が人生にとって重要な目的であると主張している。



中庸をはじめとする四書五経は、昔の日本人の精神の根幹をなす物で、幼少の頃よりの素読を通して精神に刷り込まれ、それは明治の元勲、戦前の日本人の精神風土をも形作った日本人の精神の根幹である「武士道」にも影響されているのではないでしょうか。

昔の日本人にとって人生の意味、それは天命を全うするの一言に尽き、彼らは、知仁勇を武器に自分自身の天命を知る事に命の火を燃やした。

それは、信長に代表される戦国武将、幕末の吉田松陰に代表される維新の志士、時には敵味方にわかれて戦い、文字道理命をかけて自分の天命を、存在の意義を問うていた。

知、仁、勇を本来は知識、人間愛、勇気、この3つは物事をなすべき真人に要求される達徳であるが、孔子の言葉にこういう言葉があります。

学を好むは知に近く、
力行(りょくこう)は仁に近く、
恥を知るには勇に近し。

努力を好む事は知に近く、成すべき事を継続して行く事は仁に近く、恥を知る事は勇に近い。

知仁勇は難しいと言っても、学を好み、力行して、恥を知る心がけを保っていれば、いつかはこの三徳を実現すると思います。

子どもたちよ、君たちには、知仁勇の気概はあるか?
自分の人生を、生きる意味を自ら創造する覚悟はあるのか?現代社会に生きるもの天命は、存在意義は何だろうと自問自答することなのでしょうか?



“GOLDEN MEAN”とは、本来は仏教の基本概念としての「中道」「中庸」の意味で、不偏不倚で過不及のないこと、あるいは極端に走らない中正の立場にこそ「徳」があることを表した言葉です。


そして、私たちの旅創りの原点の考え方を端的に表現したものです。「旅行」のテーマを創るという行為は、誰にでもできることかもしれません。しかしながら、本当の意味でお客様の立場に立った旅創りは誰にでも出来る行為ではありません。

私たちはその難問に挑戦すべく“GOLDEN MEAN”を目指します。私たちの熱意と誠意が皆様に届きますことを願ってやみません。



12月16日(木)07:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | こころに残る言葉 | 管理

成功するための心構え

~ 柔軟性と機転を身に付ける ~
あなたは、生まれながらに優れた素晴らしい資質を持っている。しかし、その資質を具体的な資産へと発展させるには、どうしたらよいのか。

そのために大切なのが、積極的心構えです。
これは、あなたの毎日に変化をもたらし、人格にまで影響を及ぼします。
 
ほかの人のエネルギー・レベルや脳力は、
あなたと同じではないかもしれないということを認識してください。
これを認識すればあなたは、
あなた自身の中に積極的心構えを身につけることを、よりやさしく感じるようになるでしょう。

そのように理解し、慎重に行動すれば、ほかの人との間の人間関係で、望ましい反応もつくり出すでしょう。
あなたは、ほかの人やあなたの人生に毎日起こる出来事に適応しなくてはなりません。

柔軟性とは、落ち着きを失わないで、
急速に変わっている状況に自分自身を適応させる習慣のことです。
柔軟性のある性向を持った人は、すぐに環境に調和します。

順応性のある職制と、柔軟な考えの管理者は、
それぞれの部下の性格に合わせて対処するので、
彼らの完全な協力を得ることができます。

人生は、セールスパーソン的経験の連続です。
それによって社交や仕事の世界で出会う誰にでも、
自分自身を売らなくてはならないのです。

自分の心構えを接触する人々と調和させることのできる、気持ちのいい性格を持っていない人は、
自分自身を売るセールスパーソンとしては失格です。

あなたがどんな人であろうと、あなたは素晴らしい人です。あなたは、もしかするとそう思っていないかもしれませんが…。

人々が、あなたのすることや言うことに対して
好ましくない反応を示しているとすれば、それは変えられます。
自分を損なうことなく、
ほかの人を疎外しないように、
もっと注意深く行動することができます。

すなわち、あなたは機転を学ぶことができるのです。



決してやってはいけない
機転のない行動

(1)無分別に話さない
目的のない会話をすることは、相手の興味を引かないし、場合によれば、相手の時間を盗むだけの迷惑な行為になります。

(2)ほかの人の話を中断しない
どのような理由があっても、相手の話の腰を折ることは避けるべきです。
話したいことがあれば、相手の話が終わってからにすることです。

(3)無作法な質問をしない
いくら自分に興味のあることでも、相手が話したくない話題というものがあります。
これは、ほんの少しの気配りで、誰にでもわかることです。

(4)招かれていない所には行かない
飛び込み専門のセールスパーソン以外は、すべてこの原則が当てはまります。
まず、どうすれば招かれるか、考えなければなりません。

(5)無駄な会話で長電話しない
相手がもう少し長く話を聴きたがる程度で打ち切るのが、良い印象を残します。
話す前にメモを。話し中にもメモを活用することです。

(6)人の意見の正当性を疑わない
自分と意見が合わなくても、相手が間違っているとは限りません。
それは違った側面から見ているのだ、という認識が必要です。

(7)人をけなさない
その場にいない人を貶めたり辱しめたりすることは、正当な理由のあるなしにかかわらず、品格のない行為です。

(8)部下や仲間の誤りを、人の前で指摘しない
賞賛するときは、できるだけ多くの人の前で行うこと。
逆にミスを指摘するときは、一対一で行うことです。

(9)頼み事をされたときに、不平を言わない
引き受けるのであれ、断るのであれ、不平や苦情を言わないこと。努力が無駄になります。

(10)不浄な言葉を使わない
礼儀正しい言葉を使うことは、素晴らしい人であることの最大の条件です。

(11)不愉快な気持ちをむき出しにしない
不愉快な気持ちをむき出しにすれば、相手に不快な感じを与えます。
嫌なことを聞いたときでも自制心を働かせてください。

(12)政府や政党を批判しない
誰にでも立場があります。誰にでも好き、嫌いもあります。
意見を求められても、避けられない場合以外は、自分の意見を話さないことです。

(13)ほかの人の成功を最低に抑えようとしない
他人の成功を無理に過小評価することは見苦しいだけです。
ライバルとは、フェアに競争することです。



11月10日(水)07:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | こころに残る言葉 | 管理

優しく迎えてやらなきゃなぁ

どうだい、旅はたのしかったかい
例えこれがつまんない話でも、
面白いねぇといって聞いて
やらなきゃいけない。

長旅をしてきた人は
優しく迎えてやらなきゃなぁ

~第12作 「男はつらいよ 私の寅さん」 ~


国民的映画スター「渥美 清」さんが演じた「寅さん」は、娯楽映画の中で人生の生き方を学んだ。



10月27日(水)18:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | こころに残る言葉 | 管理

親へ、子へ

親へ、子へ バカボンのパパ

子どもをいつまでも親のものにしておくのは間違いなのだ!!
これが人間界の摂理なのだ!!

(マンガ『天才バカボン』赤塚不二夫/講談社より)

当たり前である。
だが、当たり前のことをこれほどの説得力で語れる「パパ」がいるだろうか。
バカボンもハジメも対等な「遊び相手」として扱う。
全てを肯定する懐の深さと真理に言及するためらいのなさ。
赤塚不二夫が追い求めた「バカ」の姿が、そこにはある。



あなたは、あなたでいいのだ。

未来のある若い人の自殺はかなしい。
けれど青少年の自殺は、今もどこかで起こっています。
自分をありのままに肯定することの大事さを、赤塚不二夫さんの姿、そして彼が生んだ「これでいいのだ」という言葉を通して、若者たちに伝えていこうという企画です。




学校を思い起こさせるような、騒がしい音。
学生たちの騒ぐ声、部活の声、鐘の鳴る音・・・
女の子 毎日は、何事もなく過ぎてゆく。
なのにどうして、こんな気持ちになるのだろう。
友達や家族に、イライラするんだろう。
自分のことを、嫌いになるんだろう。
何もかも、捨ててしまいたくなるんだろう・・・。
学校の音が止む。静寂。

NA うまくいかないことやつらいことがやってきたとき、
これでいいのだ
赤塚不二夫さんの言葉をつぶやいてごらん。
そうすれば、世界は案外、笑いかけてくれるから。
あなたの人生は、一度きりのもの。
あなたの人生は、あなただけのもの。
どうか、あなたの人生を大事に生きてほしい。

学校の音がふたたび聞こえる。
騒々しい音。たのしげな音。

NA あなたは、あなたでいいのだ。

女の子 ・・・え?

SL ♪AC



5月1日(土)08:21 | トラックバック(1) | コメント(0) | こころに残る言葉 | 管理

強い気持ち

「金を失うことは小さく失うことである。名誉を失うことは大きく失うことである。しかし、勇気を失うことはすべてを失うことである」

 
勇気を失うということは行動力を失うということです。行動する原動力を奪われてしまってはいけません。
 どんなときも持ち続けていたいものは強い気持ちです。



3月23日(火)07:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | こころに残る言葉 | 管理

晩年の輝き

日が暮れても、烟霞(夕景)は絢爛と輝いている。
歳末になっても、橙橘(柑橘類)は一層良い香りを漂わせている。だから、人生の晩年に際してこそ、君子たる者は、さらに気力を充実させなければならない。

~ 菜根譚 前集一九六より ~


晩年の素晴らしさ

夕日の輝きと蜜柑の香り。この二つの比喩を使って、「菜根譚」は、人生の素晴らしさを讃える。
「烟霞」とは。けむりとかすみ。ここでは、夕日に映える美しい景色をいう。太陽が沈んでいく。しかし、のの夕焼けのなんと美しいことか。日が沈んでいくからこそ、景色はあでやかに光り輝くのである。



「橙橘」とは、だいだいやみかん。これらの柑橘類が芳しい香りを漂わせるのは、冬。一年の終わりである。寒い冬こそ、柑橘類は熟し、よい香りを放つのである。

これと同じように、人生も、晩年こそが美しい。人生の本当の味わいが出てくるのは歳を重ねてからである。そのとき、年老いたからと家に閉じこもっていてはならない。もう何もしないと気力を失ってはならない。むしろ逆に精神を奮い立たせ、人生最後の輝きと香りを充分に楽しむべきである。

晩年には、価値がある。
若いときのつけが回ってきて、病や災いが訪れるのも確かに晩年である。しかし、それまでの人生の蓄積を生かして、最も光輝くのも晩年である。あって欲しい。良くも悪くも人生の集大成、総決算の時期である。



日既に暮れて、而も猶お烟霞絢爛たり。
歳将に晩れんとして、而も更に橙橘芳馨たり。
故に末路晩年、君子更に宜しく精神百倍すべし。


歳を重ねただけで人は老いない。理想を失う時、人は初めて老いる。



3月22日(月)07:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | こころに残る言葉 | 管理

遥かな人へ

the best(NEW EDITION) 高橋真梨子




ディスク:1
1. 桃色吐息
2. 連絡
3. ランナー
4. 遥かな人へ
5. ハート&バード~時には強く時には優しく~
6. テンダネス
7. 枯れない花
8. 蜃気楼
9. 無伴奏
10. 恋ことば


ディスク:2
1. はがゆい唇
2. ジュン
3. あなたの空を翔びたい
4. 真昼の別れ
5. 水の吐息
6. そっと…Lovin’ you
7. ごめんね…
8. 心閉ざさないで
9. 君の海に
10. ハッピーエンドは金庫の中

遥かな人へ


人を愛するため 人は生まれた
苦しみの数だけ やさしくなれるはず

この白い街並み 春がきた時
瞳をかすめてく それぞれの場面が

人を愛するため 人は生まれた
傷つき敗れても やさしくなれるはず


あきらめないこと。モチベーションを維持し続けること。努力を続けること。すごくすごく大変なことだけど、だからこそ「人生の勝利」-達成感や充実感、満足感ーを得た時の喜びや感動も大きいのです。



3月6日(土)05:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | こころに残る言葉 | 管理

国破れて 山河在あり

国 破 山 河 在
城 春 草 木 深
感 時 花 濺 涙
恨 別 鳥 驚 心
烽 火 三 月 連
家 書 抵 萬 金
白 頭 掻 更 短
渾 欲 不 勝 簪

国破れて 山河在あり
     城春にして 草木深し
     時には感じて 花にも涙を濺ぎ
     別れを恨んでは 鳥にも心驚ろかす
     烽火三月に連なり
     家書萬金に抵たる
     白頭掻けば 更に短かく
     渾べて簪に 勝えざらんと欲す


くにやぶれて さんがあり
しろはるにして そうもくふかし
ときにかんじては はなにもなみだをそそぎ
わかれをうらんでは とりにもこころをおどろかす
ほうか さんげつにつらなり
かしょ ばんきんにあたる
はくとう かけばさらにみじかく
すべて しんにたへざらんとほっす



この詩は、杜甫46歳、安禄山の叛乱がおこってすぐあと、皇帝の朝廷とへだたり、疎開先の家族ともへだてられて、ただひとり、叛乱軍の陣営に拘禁されていた間の作であるという。
  「国破れて山河在り
   城春にして草木深し」
「国破れて」とは、国家の機構が解体して、狂人が出たらめにはさみを入れた紙ぎれのように、ぼろぼろになってしまったことをいう。敗戦の意ではない。破と敗とは、おなじくヤブレルと和訓するけれども、漢語の本来の意味はおなじでない。
 しかし山河大地は、そうした人間の不幸に超然として、そのままに存在する。「在」という字も、単なるアリの意味ではない。依然として、確固として、存在する、というほどの意味を「在」の一字がもっている。そうして「城は春にして草木深し」。城郭にかこまれた町町に、春は今年も、めぐり来た。人間はその秩序を失っても、自然はあくまでもその秩序を失わない。人影もない城壁のほとり、草木は青青と、めぐみ、しげる。

第二の対句、
「時に感じて花は涙を濺ぎ
   別れを恨んで鳥は心を驚かす」
「時」とは、時世のありさまをいう。時世のありさまに悲しみを感じて、花見心をいためるのであろうか、涙をこぼすように、はらはらと散る。また人人がちりぢりになってしまった不安な空気の中では、鳥のなき声も何となく不安げである。
 かく涙を濺ぐのは花であり、心を驚かすのは鳥であるとして、吉川はこの聯を読みたい。今の中国語にも「驚心吊膽」という言葉があり、それはおっかなびっくりの意である。もっとも、涙を濺ぎ心を驚かすのは、杜甫自身であるとして、「時に感じては花にも涙を濺ぎ、別れを恨んでは鳥にも心を驚かす」と読む説もある。

第三の対句、
「烽火は三月に連なり
   家書は万金に抵る」
三月は陰暦の三月、陽暦でいえば四月、いつもならば一ばんたのしい季節である。ところが安禄山の叛乱によってあちこちに起る烽(のろし)の火は、この最も美しい月になっても、まだやまない。この混乱の中にあって、疎開地において来たままの家族は、今どうしているであろうか。食糧はどうして手に入れているであろうか。いやそもそも生きているであろうか。ぷっつりとたえはてた消息。もし家書、家からの消息が得られるならば、おのれはそれを万金に相当するものとして、貴重しよう。「家書抵万金」。dii という重い発音をもつ抵の字は、相当するという意味であるが、「万金に抵る」と率直にいいはなしたところが、なかなかに悲痛である。なお「烽火連三月」の三月を、三ヶ月間と解くのは、正しくないであろう。似た用語例として、初唐の詩人王勃の仲春郊外と題する詩に「物色連三月、風光繞四隣」と見え、それは明かに旧暦三月の意であるからである。

最後の聯、
「白頭は掻くごとに更に短く
渾(す)べて簪(かざし)に勝(た)えざらんと欲す」
46歳の杜甫は、はや白髪であったらしい。憂いにまかせて掻く白髪の、掻けば掻くほど、ぬけまさり、簪をさすにもたえかねそうだ。当時は、男子も結髪し、仕官の人は、冠の外からヘアピンを、まげの中につきさし、冠を固定させていた。それが簪(さん)である。「渾べて簪に勝えざらんと欲す」。渾の字は、すべてというか、なべてというか、まるっきり、まったくもって、の意であって、デスパレートな気持ちをよく現わしている。
 家族に対するこまやかな愛情、それは杜甫の詩の一特徴である。晩年の放浪は、ずっと妻子をかかえての旅であったが、家長としてのこまかい思いやりが、いつもその詩ににじんでいる。いわんやこの詩の作られた時には、家族とはなればなれになったままであった。国への愁いは、家への愁いと相重なって、詩は悲痛ならざるを得ぬ。
しかし、やがて杜甫は、賊軍の監禁から脱出する。そうして妻子との再会を、やがてとげる。ひとり妻子との再会をとげるばかりでなく、変装して賊軍の陣営を脱出し、新帝の行在所にはせ参じたという冒険的な行為をめでられて、朝官としての地位も安定する。しかしそれもしばらくのことで、天成の不平家は、官吏としての地位をすぐすてる。そうして家族をかかえつつ、食糧をもとめて、流浪の旅にのぼる。流浪は、甘粛、四川、湖北、湖南と、西南中国の各地を、12年にわたって、その死に至るまでつづけられる。



杜 甫(とほ、712年(先天元年) - 770年(大暦5年))は、中国盛唐の詩人。字は子美。杜少陵、杜工部とも呼ばれる。律詩の表現を大成させた。詩人としての最高位の呼称である『詩聖』と後世の人は呼んでおり、李白と並び称される。


2月3日(水)23:09 | トラックバック(1) | コメント(0) | こころに残る言葉 | 管理

成人の日

二十歳という響きがいいですね。
本日は、成人の日です。
おめでとうございます。 

私の好きなサントリーの新聞広告です。
二十歳のみなさん。いや、おとなのみなさん。
ぐっときますよ。大人。

2010年 成人の日「パパとおやじから」


新成人おめでとう。
今日から君たちは大人の仲間入りだ。
でも大人って二十歳になれば誰でもなってしまうものだろうか。それはやはりおかしいと思う。しかし無事に二十年生きてきて、今日の空を見ているだけで素晴らしいことだ。さまざまな二十歳があって世の中だ。

パパは娘に静かに言った。「大人の自分を大切に生きて欲しい。パパがママに出逢った日のように、まぶしくて、綺麗な日本語を話す女性になってくれよ」
オヤジはセガレに言って聞かせた。「自分のことだけで精一杯の大人になるんじゃないぞ。いい友だちを作り、信じられるものを見つけるんだ」

まぶしい自分になることも、美しい日本語が話せるようになるまでも、良き友を得ることも、信念を発見することも、一年、二年じゃできやしない。いいものは時間がかかる。見てくれで人を判断するな。金で価値判断をするな。
すぐに手に入るものは砂のようにこぼれる。本物を手にするのは苦しいぞ。
パパと娘は、オヤジとセガレは、この日、初めて乾杯をした。この日を待っていたんだ。なんだか美味いな。
「酒は品よく飲みなさい。人も、酒も品格だ」
二十歳の君たちに乾杯。

この日を待っていたんだ。



2009年成人の日 「世界を見よう!真実を知ろう!」

新成人おめでとう。
君は今日どこで二十歳の日を迎えたのだろうか。

社会は君を今日から大人と呼ぶ。
しかし君が知るとおり、今、日本も、世界も歴史にない不況に直面している。

その原因はこころない大人が金を得ることを人生のすべてと考えたからだ。
金があれば何でも手に入ると卑しいところを抱いたのだ。
自分だけが裕福ならいいとしたのだ。

その大人たちの大半は先進国で最高の学問を修得した人たちだ。
なぜこんなことが起きたのか。
それは人が生きる上で何が一番大切かを学ばなかったからだ。

若い時に裕福に目が向き貧困を見なかったのだ。
日本は大国なんかじゃない。ちいさな国の君はちいさな存在だ。

しかし君の未来は、時間は、可能性に限りなく大きい。
家族や友を想う気持ちは素晴らしいことだ。

世界を見よう。
真実を知ろう。

君と同じように他人のことを考えられる大勢の若者がいる。
自分だけが、日本だけがよければではいけないことを学ぼう。

さあ外へ出よう。世界を見よう。
真実を知ろう。

歩き疲れたら一杯のウイスキーでこころを休めてまた
歩き出そう。二十歳の君に乾杯。

君に乾杯。



2008年 成人の日 「平然と生きる人であれ。」


新成人おめでとう。

君は今日、どこで、何をしながら、成人の日を迎えただろうか?祝福される人も

いれば、一人でいる人もいるだろう。成人を祝うなんて古い習慣と思うかもしれないが、そうじゃない。世の中には二十歳を迎えられなかった若者が大勢いる。

ほとんどの人は無事に生涯を送ることができない。それが私たちの生だ。

生きていることがどんなに素晴らしいか、若い時にはわからない。私も当り前に思っていた。だが君はいつか生きている意味を思い知る日がくる。ただその意味を知るために私たちは生きているんじゃない。もっと大切なことがある。

それは、人間は己以外の、誰かの、何かのために懸命に生き抜くことだ。

『人のためだけに?そんなの変だよ・・・・・・』 変じゃないんだ。今、日本の大人たちがなすすべての醜さは、それができていないからだ。そうすれば君に見えてくる。世の中が、人間の生が、いかに哀しみであふれていることが・・・・・・。

それらの哀しみを平然と受けとめ、どんな時にも、君は、そこに、スクッと立っている人であって欲しい。

そのためには心身を鍛錬しておくことだ。頭ばかりが動いてはダメだ。

ひとつしかないこころと身体を強くするのだ。こころと身体で汗をかけ。

その汗は、今日から飲める一杯を格別に美味しくするぞ。強いを目指す君に乾杯。

強いを目指す君に乾杯。



2007年 成人の日 「二十歳の青空」


二十歳、新成人おめでとう。
二十歳とは何だろう?
二十歳は青空に似ている。青く澄んでどこまでも飛翔できる可能性を持った空だ。
誰にも空はあるが、二十歳の空は君だけのものだ。
空のキャンバスにどんな絵を描くかは君しだいだ。

空を見上げてみたまえ。
同じ空の下で、今日も戦場で若者が死に、テロは続いている。いじめで後輩が生命を断っている。すぐそばで悲惨な事件がくり返される。金で何でも手に入ると信じている輩がいる。
おかしいと思わないか。哀しみと歩くために私たちは生まれてきたのではないはずだ。どうして人をいじめたり、平気で人を苦しめたりする者がいるのか。それはボクたちの身体の中に何ものにもかえられない素晴らしいものがあるのを忘れているからだ。子供の時に読んだ本、聞いた詩、口ずさんだ音楽でやさしい気持ちになり、生きていることが素晴らしいと信じられた時間が詰まっているんだ。その気持ちを捨ててはいけない。人間が生きる姿勢はそこから生まれるんだから。

二十歳の空はどこにでも飛んでいける。信じるものにむかって飛び出そう。空は快晴だけじゃない。
こころまで濡らす雨の日も、うつむき歩く風の日も、雪の日だってある。実はそのつらく苦しい日々が君を強くするんだ。苦境から逃げるな。自分とむき合え。強い精神を培え。そこに人間の真価はある。

今日から酒が飲める年齢だ。
苦い酒を覚えろ。酒のマナーは品性だ。
でも一人じゃないぞ。
空には星もあるのだから。



2006年 成人の日 「二十歳の君の目に。」


二十歳、新成人おめでとう。

今日から大人といわれても、日付がかわるように人が大人になるはずはない。二十歳の君の目には、今、何が見えますか。大人は、社会はどんなふうですか。

戦場では今日も若者が死に、テロは繰り返され、近所でおぞましい事件が続く。生きる価値を「勝ち組」「負け組」などと下品な言葉で判別し、金が儲かるなら何をしてもいいと嘯く輩がいる。

金がすべてなら君達が子供の時に読んだり、聞いたりした絵本や、詩や、音楽は世の中にはいらなくなる。これまで君の目はたしかなものを見てきたはずだ。大切な人が、場所があり、好きな言葉が、ビジュアルが、ファッションがあるだろう。どれも皆きらきらとかがやいているだろう。

二十歳の視野は無限にひろがっている。かがやくものにむかって歩き出そう。晴れの日ばかりじゃない。冷たい雨も凍てつく風もある。光が見えないときもある。そうなんだ。本当に価値のあるものは見えにくいんだ。だから目を大きく見開こう。きっと見える。見るための一歩は、自分が一人だと知ることだ。孤独と向き合うことだ。そこで見えたもの、出会えたものに人生の肝心はある。

今日から酒が飲める年齢だ。まずは独りでやりなさい。

酒の作法はひとつ、品性だ。


いかがでしたか? 
もうひとつ、このシリーズで山口瞳さんのものを紹介します。

二十歳の諸君!
今日から酒が飲めるようになったと思ったら大間違いだ。諸君は、今日から酒を飲むことについて勉強する資格を得ただけなのだ。仮免許なのだ。

 最初に、陰気な酒飲みになるなと言っておく。
酒は心の憂さを払うなんて、とんでもない話だ悩みがあれば、自分でで克服せよ。悲しき酒になるな。
次に、酒を飲むことは分を知ることだと思いなさい。そうすれば、失敗がない。第三に、酒のうえの約束を守れと言いたい。諸君は、いつでも、試されているのだ。

ところで、かく言う私自身であるが、実は、いまだに、仮免許がとれないのだ。諸君!この人生、大変なんだ。


二度目の成人式も少し過ぎたのに 人生!仮免! 



1月11日(月)07:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | こころに残る言葉 | 管理

南天福寿

南天福寿 溝口雨塘(みぞぐち うとう) 作


難を転じて福と成す・・・縁起の良い掛軸です


南天には病難や災厄を退ける力があるとされ、鬼門除けとして植えられてきました。難をついばみ福をもたらす吉鳥の夫婦雀。家族の無病息災と家運隆盛を願って飾る掛軸。南天と福寿草の図、縁起鳥のすずめも愛らしいですね。



福寿作者 溝口 雨塘
略歴 昭和30年生 岐阜県在住・墨彩会会員
得意/花鳥、鯉、人物
さまざまな和紙にその風合いを利用して、鋭い感情で捉えた自然観照のにじみ出た付け立て技法を得意とする。
グループ展多数。徳島県出身

サイズ 三段表装仕上げ
掛けた時のサイズ 約54×190cm(尺五立)

用途:新築・開設・開店・竣工・敬老・還暦・長寿・退職・海外へのお土産など各種記念品、贈答品。



音が「難を転ずる」に通ずることから縁起の良い木とされ、鬼門または裏鬼門に植えると良いなどという俗信があります。葉は赤飯などの飾りに、実は南天実(なんてんじつ)という生薬で咳止めの薬として用いられています。


古来から春の訪れを告げる植物として、愛されてきた福寿草。旧暦の正月(二月)頃に開花することから幸福と長寿を表す「福寿」という縁起の良い名前が名付けられました。雪解けとともに咲き出す黄金の絨毯。 南天などともに縁起ものとされ、「元日草(がんじつそう)」や「朔日草(ついたちそう)」という別名もあります。


雀は厄をついばむと言われ、縁起のよいものとされています。楽しげに仲間が集う姿から、雀は古くから吉鳥とされています。

年始参りをすると事務所の玄関に南天を飾る企業が多かったのは、時代の大転換期という表れでしょうか?



「南天・福寿・吉鳥」


家族の無病息災と家運隆盛を願いましょう。



1月10日(日)07:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | こころに残る言葉 | 管理

仁義礼智忠信孝悌

仁義礼智忠信孝悌の持つ意味ですが

仁義八行と呼ばれる人間が生きて行く上で大切な八つの道徳的規範を示したもの。

・・・思いやり、慈しみ。儒教の五行の最高の徳とされる。
・・・人道に従うこと、道理にかなうこと。普遍的正義。
・・・社会生活上の定まった形式、人の踏み行なうべき道に従うこと。習俗を尊重する。
・・・物事を知り、弁えていること。(物の道理を知り、正しい判断を下すこと。)智慧。
・・・心の中に偽りがないこと、主君に専心尽くそうとする真心。権力者に忠誠を尽くす。
・・・言葉で嘘を言わない事、相手の言葉をまことと受けて疑わない事。自分の発言は実行する。
・・・おもいはかること、工夫をめぐらすこと。親孝行すること。親に従う。
・・・兄弟仲がいいこと。年長者に従うこと。兄に従う。

このうち儒教では仁義礼智信を「五常の徳」といい、自律者の徳目とされます。
一方、忠孝悌は従属者の徳目で上位者に都合の良い徳目で、馬琴が五常の徳に付け加えたとされています。

社会関係においては、従属的地位に置かれることは当然あり得る。
従属者が自ら(思いやり)(普遍的正義)(習俗を尊重する)(智慧)(自分の発言は実行する)の評価をした上で(権力者に忠誠を尽くす)(親の利益を考える)(兄に従う)ことを決断するのは一向に構わない。


私自身、社会人として、子供の親として、今一度この言葉をしっかりと胸に刻んでおこうと思いました。



11月4日(水)07:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | こころに残る言葉 | 管理

帰るとき 行く時よりも美しく

「帰るとき 行く時よりも美しく」

福岡ソフトバンクホークス 取締役会長 王貞治さんの言葉です。

子どもたちも、先生も、毎日、学校に行く時よりも帰る時は少しでも成長していられるように。一人ひとりが、そういう気持ちを持つことが大切です。






・親も子も学校の先生を一目置く。
社会全体がもっと伸び伸びと子どもと接していける雰囲気をづくりをしていかなければならない。
子どもに直接ふれあう人たちが、色々なことを気にしないで、自分たちも楽しみながら、子どもの成長に携われるように。先生たちを自由にやらせてあげたい。先生の個性を生かすことで、より情熱を持って取り組めるようになるのではないかと思います。


子どもって、本来、先生を尊敬しているし、頼りにしている。

・子どもの周りにいる大人たちが、まずおおらかでなければなりません。

子どもの問題は、大人の問題。

思いを伝えることから始める。・・・そうですね。

大人が自分の考え方や気持ちを伝えることは、とても大切だと思います。



10月20日(火)07:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | こころに残る言葉 | 管理

兵法に学ぶ

とはしてじくせしむるなり。
に、これとすべく、これとくべくして、わざるなり。

道というのは、一人ひとりのチームメンバーを、リーダーの思っている気持ちと同心にさせることです。
そうすることによって、チームメンバーはリーダーと一緒に、死生を共にすることを疑わないのです。

※孫子の兵法から、孫武の言葉。



戦略のバイブル「孫子の兵法」
孫子は、約2500年前に書かれた世界最古の兵法書
中国の春秋時代に呉国の天才軍師だった孫武の言葉を、まとめたもの。

現代でも孫子が読まれている理由は、戦争に関わらず、社会生活に通じる有用な理が書かれているから。

孫子は13篇で構成され、大きく4つに分類されます。

1.開戦前の心得 
計篇(戦争を始める前の心得)
戦争は敵を欺くものである。
作戦篇(戦争に対する考え方)
戦上手は、敵地で兵糧を手配する。
敵地で調達した兵糧の価値は普通の2倍である。
戦争は速やかな勝利こそが、素晴らしく、長期戦は、愚の骨頂である。

謀攻篇(戦わずして勝つ方法)
敵情を知り、自軍の状態をを知っていれば、百戦しても負けない。
最善の策は敵の陰謀を破ることで、次善の策は敵と連合国の外交関係を断つこと、そして最低の策は敵の城を攻めること。

2.実際の軍事行動
形篇(負けないための諸条件を整える)
勝利する軍は、まず勝利を確定しておき、その後に勝利を実現すべく戦う。
敗北する軍は、まず戦ってから、勝利を得ようとする。

勢篇(勝負を左右する勢いについて)
戦上手な人は、軍隊の勢いをい利用することに力を使い、兵士個人の能力に頼らずに軍隊を運用する。

虚実篇(敵の虚を付く方法)
戦上手は、敵を思い通りに動かして、敵の思い通りに動かされはしない。

3.軍の運用法
軍争篇(戦争を有利に進めるための方策)
回り道を近道に変え、悪条件を有利に変えなければならない。

九変篇(様々な状況に対応する方策)
賢い人は、必ず利と害の両面から考えを巡らせる。
戦局の変化に精通している人は、軍隊の指揮に長けている。

行軍篇(行軍中の注意事項と敵状把握の方策)
兵士たちがまだ将軍に親しみ懐いていないのに懲罰を行うと、兵士たちは心服せず、心服しないと働かない。兵士たちが既に親しみ懐いているのに懲罰を行わないと、威厳が損なわれ、兵士を働かせることはできない。

兵士たちを統制するには、兵士と親密に交流し、懲罰を厳格に行う必要がある。

地形篇(様々な地形において柔軟に戦うための方策)
地形を理解し、地形に応じた戦法をとれるようにしなければならない。
地の利を得るように軍隊を動かさなければならない。
兵士には、最愛のわが子のように愛情深く接しなさい。

九地篇(土地・環境が与える兵士への心理的影響を捉えた方策)
敵が大切にしているものを奪えば、敵を混乱させることができ、自分の思い通りにできる。
兵士は絶体絶命の窮地に置かれて、初めて生き延びようという気持ちになる。

4.火計とスパイの用法
火攻篇(火計の際に重要なポイント、戦後処理の重要性)
放火した火が敵の陣営の中で燃え出した時は、素早く反応して外から兵を攻めさせる。

戦って攻撃して奪い取りながらその戦果を収めずに無駄に戦争を続けると災いとなる。

用間篇(戦争におけるスパイの使い方)
全軍の中で一番親しいのは、将軍と間諜である。間諜は最も大切な情報を持っている。

孫子の兵法6原則
相手の力を知り、自分の力を知る。
相手の力を分散させて守勢に追い込む。
相手の弱点を不意を突いて攻める。
正攻法と奇襲の二つの作戦を組み合わせる
守りは静かに、攻めは一気にたたみかける。
力に応じた戦い方を心がけ、変化に対応する。



9月25日(金)23:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | こころに残る言葉 | 管理

村上春樹さんの講演

現代に生きる者として、考えさせられるスピーチでした。人権尊重とその可能性を見事に説明しているスピーチは、後世に残したいと思いました。

~ 村上春樹氏受賞スピーチ ~



こんばんは。わたしは今日、小説家として、つまり嘘を紡ぐプロという立場でエルサレムに来ました。
 

 もちろん、小説家だけが嘘をつくわけではありません。よく知られているように政治家も嘘をつきます。車のセールスマン、肉屋、大工のように、外交官や軍幹部らもそれぞれがそれぞれの嘘をつきます。しかし、小説家の嘘は他の人たちの嘘とは違います。小説家が嘘を言っても非道徳的と批判されることはありません。それどころか、その嘘が大きければ大きいほど、うまい嘘であればいっそう、一般市民や批評家からの称賛が大きくなります。なぜ、そうなのでしょうか?


 それに対する私の答えはこうです。すなわち、上手な嘘をつく、いってみれば、作り話を現実にすることによって、小説家は真実を暴き、新たな光でそれを照らすことができるのです。多くの場合、真実の本来の姿を把握し、正確に表現することは事実上不可能です。だからこそ、私たちは真実を隠れた場所からおびき出し、架空の場所へと運び、小説の形に置き換えるのです。しかしながら、これを成功させるには、私たちの中のどこに真実が存在するのかを明確にしなければなりません。このことは、よい嘘をでっち上げるのに必要な資質なのです。


 そうは言いながらも、今日は嘘をつくつもりはありません。できる限り正直になります。嘘をつかない日は年にほんのわずかしかないのですが、今日がちょうどその日に当たったようです。



 真実をお話しします。日本で、かなりの数の人たちから、エルサレム賞授賞式に出席しないように、と言われました。出席すれば、私の本の不買運動(ボイコット)を起こすと警告する人さえいました。これはもちろん、ガザ地区での激しい戦闘のためでした。国連の報告では、封鎖されたガザ市で1000人以上が命を落とし、彼らの大部分は非武装の市民、つまり子どもやお年寄りであったとのことです。


 受賞の知らせを受けた後、私は何度も自問自答しました。このような時期にイスラエルへ来て、文学賞を受けることが果たして正しい行為なのか、授賞式に出席することが戦闘している一方だけを支持しているという印象を与えないか、圧倒的な軍事力の行使を行った国家の政策を是認することにならないか、と。もちろん、私の本がボイコットされるのは見たくはありません。


 しかしながら、慎重に考慮した結果、最終的に出席の判断をしました。この判断の理由の一つは、実に多くの人が行かないようにと私にアドバイスをしたことです。おそらく、他の多くの小説家と同じように、私は人に言われたことと正反対のことをする傾向があるのです。「行ってはいけない」「そんなことはやめなさい」と言われると、特に「警告」を受けると、そこに行きたくなるし、やってみたくなるのです。これは小説家としての私の「気質」かもしれません。小説家は特別な集団なのです。私たちは自分自身の目で見たことや、自分の手で触れたことしかすんなりとは信じないのです。


 というわけで、私はここにやって参りました。遠く離れているより、ここに来ることを選びました。自分自身を見つめないことより、見つめることを選びました。皆さんに何も話さないより、話すことを選んだのです。
 ここで、非常に個人的なメッセージをお話しすることをお許しください。それは小説を書いているときにいつも心に留めていることなのです。紙に書いて壁に貼ろうとまで思ったことはないのですが、私の心の壁に刻まれているものなのです。それはこういうことです。


 「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」ということです。

 



そうなんです。その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます。他の誰かが、何が正しく、正しくないかを決めることになるでしょう。おそらく時や歴史というものが。しかし、もしどのような理由であれ、壁側に立って作品を書く小説家がいたら、その作品にいかなる価値を見い出せるのでしょうか?


 この暗喩が何を意味するのでしょうか?いくつかの場合、それはあまりに単純で明白です。爆弾、戦車、ロケット弾、白リン弾は高い壁です。これらによって押しつぶされ、焼かれ、銃撃を受ける非武装の市民たちが卵です。これがこの暗喩の一つの解釈です。

 
 しかし、それだけではありません。もっと深い意味があります。こう考えてください。私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。


 私が小説を書く目的はただ一つです。個々の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てることです。小説を書く目的は、「システム」の網の目に私たちの魂がからめ捕られ、傷つけられることを防ぐために、「システム」に対する警戒警報を鳴らし、注意を向けさせることです。私は、生死を扱った物語、愛の物語、人を泣かせ、怖がらせ、笑わせる物語などの小説を書くことで、個々の精神の個性を明確にすることが小説家の仕事であると心から信じています。というわけで、私たちは日々、本当に真剣に作り話を紡ぎ上げていくのです。


 私の父は昨年、90歳で亡くなりました。父は元教師で、時折、僧侶をしていました。京都の大学院生だったとき、徴兵され、中国の戦場に送られました。戦後に生まれた私は、父が朝食前に毎日、長く深いお経を上げているのを見るのが日常でした。ある時、私は父になぜそういったことをするのかを尋ねました。父の答えは、戦場に散った人たちのために祈っているとのことでした。父は、敵であろうが味方であろうが区別なく、「すべて」の戦死者のために祈っているとのことでした。父が仏壇の前で正座している後ろ姿を見たとき、父の周りに死の影を感じたような気がしました。

 
 父は亡くなりました。父は私が決して知り得ない記憶も一緒に持っていってしまいました。しかし、父の周辺に潜んでいた死という存在が記憶に残っています。以上のことは父のことでわずかにお話しできることですが、最も重要なことの一つです。


 今日、皆さんにお話ししたいことは一つだけです。私たちは、国籍、人種を超越した人間であり、個々の存在なのです。「システム」と言われる堅固な壁に直面している壊れやすい卵なのです。どこからみても、勝ち目はみえてきません。壁はあまりに高く、強固で、冷たい存在です。もし、私たちに勝利への希望がみえることがあるとしたら、私たち自身や他者の独自性やかけがえのなさを、さらに魂を互いに交わらせることで得ることのできる温かみを強く信じることから生じるものでなければならないでしょう。

 
 このことを考えてみてください。私たちは皆、実際の、生きた精神を持っているのです。「システム」はそういったものではありません。「システム」がわれわれを食い物にすることを許してはいけません。「システム」に自己増殖を許してはなりません。「システム」が私たちをつくったのではなく、私たちが「システム」をつくったのです。
 これが、私がお話ししたいすべてです。

 
 「エルサレム賞」、本当にありがとうございました。私の本が世界の多くの国々で読まれていることはとてもうれしいことです。イスラエルの読者の方々にお礼申し上げます。私がここに来たもっとも大きな理由は皆さんの存在です。私たちが何か意義のあることを共有できたらと願っています。今日、ここでお話しする機会を与えてくださったことに感謝します。ありがとうございました。



9月24日(木)07:47 | トラックバック(0) | コメント(2) | こころに残る言葉 | 管理

修養掟

出水兵児修養掟(いずみへこしゅうようおきて)

出水兵児修養掟は、江戸時代後期に、その頃の青少年をたくましく育てるために作られたといわれています。
内容は、武士の心構えを表したものですが、今の世の中でも人としての生きる心構えの教えとしての傑作といわれ、多くの人に親しまれています。


出水兵児修養掟(いずみへこしゅうようおきて)

士(し)ハ節義(せつぎ)を嗜(たしな)み申すべく候(そうろう)。
節義の嗜(たしな)みと申すものは口に偽(いつわ)りを言ハず身に私(わたくし)を構(かま)へず、心直(こころすなお)にして作法(さほう)乱れず、礼儀正しくして上(かみ)に諂(へつ)らハず下(しも)を侮(あな)どらず人の患難(かんなん)を見捨てず、己(おの)が約諾(やくだく)を違(たが)へず、甲斐(かい)かいしく頼母(たのも)しく、苟且(かりそめ)にも下様(しもざま)の賎(いや)しき物語り悪口など話の端(はし)にも出さず、譬(たとえ)恥(はじ)を知りて首(くび)刎(は)ねらるゝとも、己(おのれ)が為(な)すまじき事をせず、死すべき場を一足(ひとあし)も引かず、其心(そのこころ)鐵石(てっせき)の如(ごと)く、又温和慈愛(おんわじあい)にして、物の哀(あわ)れを知り人に情(なさけ)あるを以(もつ)て節義の嗜(たしな)みと申すもの也(なり)。


人は正しいことをしないといけない。
正しいこととは、うそを言わないこと、自分よがりの考えをもたないこと、素直で礼儀正しく、目上の人にぺこぺこしたり目下の人を馬鹿にしたりしないこと、困っている人は助け、約束は必ず守り、何事にもいっしょうけんめいやること、人を困らせるような話や悪口などを言ってはいけないし、自分が悪ければ首がはねられるようなことがあってもべんかいしたりおそれたりしてはいけない、そのような強い心を持つことと、小さなことでこせこせしない広い心で、相手の心の痛みが分かるやさしい心を持っているのが、立派な人と言えるのです。

藩政時代薩摩では「薩摩を守るのは城ではなくて人である」という考えの下、「人」の教育に力を入れ地域ごとに郷中教育が行われ、青少年の心身鍛錬が行われました。特に、出水には屈強の武士が集められ、特別に英才教育が行われたそうです。出水兵児の「兵児」とは青少年のことです。郷中教育は年齢別に、数え年の6~14歳を「兵児山」、14~20歳を「兵児二才」、20~30歳を「中老」と呼び、兵児教育では、そのうちの兵児山と兵児二才に重点が置かれました。兵児は、規約のほかに各郷中は掟をつくって座右の銘として、この出水兵児修養掟を朝夕朗読させて実践しました。


年長者がそれぞれの組を率いて行われ、教育の中身は、その土地の風土や伝統を重んじる大変に厳しいスパルタ式の「しつけ教育」でありました。その厳しい中にも幼年者には慈愛をもってあたったといわれます。教育の方法はそれぞれの郷中で独特の工夫がなされ相互に何でも話し合えましたが、反面、各自が日常守るべき規約を定め、違反した者は反省し談合のすえ処罰する厳格なものでした。  
各組を「咄(はなし)相中」、規約を「二才(にせ)咄格式定目」と呼び、この規約にしたがって山登りや水練、剣術などの鍛錬に励み、酒色や怠慢を諌め武勇や信義を尊ぶ気風を養成しました。



7月16日(木)21:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | こころに残る言葉 | 管理

ヒール・ザ・ワールド

Heal the world
Make it a better place
For you and for me
And the entire human race
There are people dying
If you care enough
For the living
Make a better place
For you and for me

                                   
“Heal the World”
 by Michael Jackson

世界を癒そう
世界をより住みやすい場所にしよう
君と僕のために
そして全人類のために
貧しさのために死んでいく人がいる
もし君が
命の大切さを十分に分かっているなら
世界をより住みやすい場所にしよう
君と僕のために
                               
「ヒール・ザ・ワールド」より抜粋
  作詞:マイケル・ジャクソン


2週間前のマイケル・ジャクソンの突然の悲報。



80年代のアメリカを象徴する、時代の中心にいた人物。

中学生の頃だ。
ビリー・ジーンやスリラーなどの超大ヒット曲のプロモーションビデオを何回も観て、あの華麗なムーンウォークを真似したことを昨日のことのように思い出す。

「ジャイケル・マクソン」と覚えてしまった仲間もいた。


マイケル・ジャクソンは世界で一番、常に誤解され続けた人だと、どこかの記事で読みました。


マスコミは無責任に、彼のスキャンダルや奇行ばかりを取り沙汰していましたが、一体どれだけが真実だったのだろうか?。

マスコミの報道を全て鵜呑みにするのではなく、常に冷静に心の目で真実を見極められる公平な人間になりたいと思います。

ご冥福を心からお祈りするのと共に、彼が歌ったように、1日でも早くこの世界がより住みやすい場所になりますように。



7月9日(木)21:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | こころに残る言葉 | 管理

スピーチライター

米国では、政治家や企業経営者は原稿をプロに依頼するのが当たり前で、大統領の演説はどんな短いものでも、必ずスピーチライターと呼ばれるプロが草稿を練るそうです。

オバマ大統領の主任スピーチライターであるジョン・ファブロー氏は、なんと27歳! 

この若き天才ライターを筆頭として、オバマのスピーチライター陣営はいずれも20代・30代前半の若者たちです。才能や実力や熱意があれば、年齢や経験など関係なくチャンスがあるというアメリカン・ドリームが、垣間見れます。

通常、大統領には5人前後の専属ライターがいて、年間700本以上のスピーチ原稿を書くそうです。

『Tonight we proved once more that the true strength of our nation comes not from the might of our arms or the scale of our wealth, but from the enduring power of our ideals – democracy, liberty, opportunity, and unyielding hope.』

「今夜我々はあらためて証明したのです。この国の真の強さは、軍事力や富の大きさではなく、自分たちの理想に対する揺るぎない信念を持っているということを。それは、民主主義や自由やチャンス、そして変わることのない希望なのです。」

- Barack Obama’s Victory Speech -
(バラク・オバマ氏の勝利演説より)

今年の1月20日よりアメリカ新大統領に就任した、オバマ氏の選挙で勝利が確定したときの演説です。

簡潔さを目指し「米国の再生」とのテーマを固め「読み返すたびに威圧される」と高評価、歴代就任演説のベストに位置付けるリンカーンの2期目の就任演説を目標としたそうです。

内戦後の国内融和を訴えた内容で名高く、約700語の短さでもリーンカーの就任演説は有名です。

オバマ米国大統領の今後の実積によって・・・。
歴代就任演説のベストに位置づけられるのではないか?



6月4日(木)07:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | こころに残る言葉 | 管理

形を変えて再挑戦しよう

継続をすることは、難しいことです。
しかし、意味を理解しての継続や現状を維持することです。
だからといってチャレンジする心を忘れてしまっては、発展は見込めません。
確かに、新たなことに挑戦することは、簡単なことではなく、多くのリスクが伴います。
そのため、リスクばかりを追い、せっかくの構想を外してしまわないことでしょうか。
なにより恐れるべきは失敗ではなく、可能性を逃してしまうことです。

挑戦がなければ、大きな発展も見込めません。
そして失敗もまた、新たな挑戦を生みだす重要な糧となるのです。

ソニー創業者のひとり、盛田昭夫氏の言葉に、「とにかく思い切ってやってみようじゃないか。間違ったらまた変えるのだ」というものがあります。

「やってダメなら引く」というネガティブな姿勢ではなく、「形を変えて再挑戦しよう」というポジティブさは、見習うべきではないでしょうか。

自分の胸の内に密かに描く新たな挑戦があるのなら、実現に向けて一歩踏み出してみる勇気を、まずは持ってみませんか。

笑顔と優しい言葉で挑みましょう!!



5月28日(木)23:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | こころに残る言葉 | 管理


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