日本ブライト旅行社長のブログ
 
栃木県佐野市の旅行会社社長のひとり言です。
 


修養掟

出水兵児修養掟(いずみへこしゅうようおきて)

出水兵児修養掟は、江戸時代後期に、その頃の青少年をたくましく育てるために作られたといわれています。
内容は、武士の心構えを表したものですが、今の世の中でも人としての生きる心構えの教えとしての傑作といわれ、多くの人に親しまれています。


出水兵児修養掟(いずみへこしゅうようおきて)

士(し)ハ節義(せつぎ)を嗜(たしな)み申すべく候(そうろう)。
節義の嗜(たしな)みと申すものは口に偽(いつわ)りを言ハず身に私(わたくし)を構(かま)へず、心直(こころすなお)にして作法(さほう)乱れず、礼儀正しくして上(かみ)に諂(へつ)らハず下(しも)を侮(あな)どらず人の患難(かんなん)を見捨てず、己(おの)が約諾(やくだく)を違(たが)へず、甲斐(かい)かいしく頼母(たのも)しく、苟且(かりそめ)にも下様(しもざま)の賎(いや)しき物語り悪口など話の端(はし)にも出さず、譬(たとえ)恥(はじ)を知りて首(くび)刎(は)ねらるゝとも、己(おのれ)が為(な)すまじき事をせず、死すべき場を一足(ひとあし)も引かず、其心(そのこころ)鐵石(てっせき)の如(ごと)く、又温和慈愛(おんわじあい)にして、物の哀(あわ)れを知り人に情(なさけ)あるを以(もつ)て節義の嗜(たしな)みと申すもの也(なり)。


人は正しいことをしないといけない。
正しいこととは、うそを言わないこと、自分よがりの考えをもたないこと、素直で礼儀正しく、目上の人にぺこぺこしたり目下の人を馬鹿にしたりしないこと、困っている人は助け、約束は必ず守り、何事にもいっしょうけんめいやること、人を困らせるような話や悪口などを言ってはいけないし、自分が悪ければ首がはねられるようなことがあってもべんかいしたりおそれたりしてはいけない、そのような強い心を持つことと、小さなことでこせこせしない広い心で、相手の心の痛みが分かるやさしい心を持っているのが、立派な人と言えるのです。

藩政時代薩摩では「薩摩を守るのは城ではなくて人である」という考えの下、「人」の教育に力を入れ地域ごとに郷中教育が行われ、青少年の心身鍛錬が行われました。特に、出水には屈強の武士が集められ、特別に英才教育が行われたそうです。出水兵児の「兵児」とは青少年のことです。郷中教育は年齢別に、数え年の6~14歳を「兵児山」、14~20歳を「兵児二才」、20~30歳を「中老」と呼び、兵児教育では、そのうちの兵児山と兵児二才に重点が置かれました。兵児は、規約のほかに各郷中は掟をつくって座右の銘として、この出水兵児修養掟を朝夕朗読させて実践しました。


年長者がそれぞれの組を率いて行われ、教育の中身は、その土地の風土や伝統を重んじる大変に厳しいスパルタ式の「しつけ教育」でありました。その厳しい中にも幼年者には慈愛をもってあたったといわれます。教育の方法はそれぞれの郷中で独特の工夫がなされ相互に何でも話し合えましたが、反面、各自が日常守るべき規約を定め、違反した者は反省し談合のすえ処罰する厳格なものでした。  
各組を「咄(はなし)相中」、規約を「二才(にせ)咄格式定目」と呼び、この規約にしたがって山登りや水練、剣術などの鍛錬に励み、酒色や怠慢を諌め武勇や信義を尊ぶ気風を養成しました。



7月16日(木)21:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | こころに残る言葉 | 管理

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