日本ブライト旅行社長のブログ
 
栃木県佐野市の旅行会社社長のひとり言です。
 


2010年8月26日を表示

新しい会社の顔。

日本列島の中心地からブライトな旅の創造


日本ブライト旅行のロゴです。

ロゴ(Logo)
図案や装飾化された文字や文字列のことです。
団体名、商号、商品名、雑誌名、書名などを印刷・表示するのに使われロゴ (logo) と略しています。

ロゴの由来は、ギリシア語のロゴテュポス (λογότυπος) に由来し、ロゴ = 言葉を意味します。ロゴマークという言葉で記号を意味することがあるが、和製英語です。



2001年に、事務所玄関ドアと駐車場街灯にロゴマークを設置。

「日本列島の中心地からブライトな旅の創造!」が社名に託されています。



今回、デザイン会社の社長にどのくらいで出来るか打診をしたところでした。少し高いかな~。
前回、作成していますので相場がわかります。

その直後、クイックサンズ様より弊社宛てにメールを頂いたのが縁で、商談をして手配をさせて頂きました。

独自の製法やアイディアで、目的・用途に合わせて商品開発をしているのが愛知県刈谷市にあるクイックサインズ本店の小笠原様です。

クイックサインズの店頭販売をはじめ、通信販売の注文受付から制作に至るまでの一貫の業務を行っています。

弊社に、メールが届きました。
お安くするとの内容です。
そして、確認後翌日発送するとQUICKと云う名前は伊達ではない。料金半額と短期納期が決めた理由です。

小笠原様とメールや電話で打合せを致しましたが、簡単でした。

企業看板やチラシ、パンフレット、カラーコピー出力等も併せて、お客様ひとりひとりの違ったニーズに的確に対応できるように、ステッカーや名刺から、店頭用の看板やのぼりまで多方面の商品を取扱しているそうです。

所在地: 〒448-0011 愛知県刈谷市築地町池南41-1
T E L : 0566-21-9109
F A X : 0566-21-9134
E-mail : info@q-signs.com
看板サイト: www.q-signs.com/jp2



昨日、発送されたとメールが届きました。
今朝、届きました。
梱包もきちんとしています。

早速、10年間の弊社の顔であったカッティングステッカーをはがします。無理です。丈夫です。
【剥し方】
1.中性洗剤をステッカーに塗る。
2.その上にサランラップをセロハンテープで貼り付ける。
3.10分ほど放置。
4.小さなステッカーを剥す。
「SEINC 2001」のSから1まで上手にとれ、大きいロゴの部分もはがすことに成功。
※しかし、透明なロゴの周りにあるテープが取れません。
5.カッター(刃のみ)で削りとる。
6.最後にガラスの部分の汚れをタオルで拭き取る。

気持ちいい。このままでもいいだろう。

【ステッカーの貼付】
準備するもの
1.霧吹き。(500mlの水と中性洗剤を数滴入れる。)
2.スキージー(クイックサインズ様からプレゼント)
3.テープ

【貼り方】
1.平行や中心などを確認しながら位置を決めます。
2.霧吹きを貼る位置に吹きかけます。
3.カッティング・バイナルの端(余白)をテープテープなどで固定します。
4.スキージーを使って、中央から外側に向かってステッカーの上を気泡を押し出すようにゆっくりとこすりつけていきます。半面を貼り終えたら、テープを剥がし、残り半分を同じ要領で貼り付けます。
全体の貼り付けが終わったら、スキージーでもう一度上からこすり、しっかり固着するようにします。

簡単です。
50cm×47cm。(ステッカーのサイズ)






8月26日(木)18:45 | トラックバック(0) | コメント(0) | 社長日記 | 管理

河口恭吾さんへ校歌を依頼

来年4月開校する「栃木県立松桜校等学校」の名称の由来は、田沼高が校門前の桜並木が有名で、新校の校名を松陽高の松と田沼高の桜を合わせて付けられました。

今回、新校の立準備委員会で、校歌は市出身で「桜」のつながりもあるシンガーソングライター河口恭吾さん(35)に依頼しようと話がまとまり、河口さんも快諾していただき、25日、河口さんが同校の校舎として使われる佐野松陽高を訪れて学校関係者と打ち合わせを行った。

校歌を作るのは初めてという河口さんは、犬伏東小、北中を経て足利南高に進学。歌手を目指し上京。2003年に大ヒットした「桜」などで知られる。さくら市の市歌も河口さんの作品だ。 「生まれ育った場所の新校の校歌を作れるなんて、うれしいし、誇らしく思う」と笑顔を見せていたといいます。

打ち合わせは、
・両校の歴史や新校の学科編成の説明
・学校関係者から曲調や歌詞について希望
・校庭や学校のそばを流れる旗川の河川敷を見学
このように曲のモチーフを収集したそうです。

今年がデビュー10周年の河口さんは、11月に記念ツアーの幕開けとなるコンサートを市文化会館で開く。河口さんは「これまで地元で仕事をする機会がなかったが、今年は恩返しができたら」と話し「ずっと心に残る校歌を作りたい」と笑顔を見せたそうです。



校歌をつくるにも両校の歴史や伝統を尊重しながら、検討しなければならないと大変なことですね。

評議員として、開校までに在校生、受験をして入学する中学生、現場で働く教職員の事を中心にお手伝いができればと思います。

行政の方々や卒業生の皆様方に、是非、新しい高校の支えになって頂きたいと願います。



8月26日(木)07:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高校評議員 | 管理

北方領土への渡航自粛について

我が国国民の北方領土入域問題について、平成元年9月19日の「閣議了解」を得ている下記の内容を理解していただきたい。

戦後40年以上を経た今日も日本固有の領土である北方領土のソ連による不法占拠が継続しており、政府は、国民の総意及び国会の関係諸決議に基づき北方領土返還を実現するための交渉を行っている。

このような状況の下で、最近一部の日本国民がソ連当局の査証の発給を受けて北方領土に入域するという事例が見られたが、日本国民がソ連の出入国手続に従うことを始めとしてソ連の不法占拠の下で北方領土に入域することは、日本固有の領土たる北方領土に関する国民の総意及びそれに基づく政府の政策と相いれないものである。

このことについて、日本の多数の遺族が過去に約10年間にもわたり人道上の問題である北方領土墓参の中断を余儀なくされたことが想起されるべきである。

以上にかんがみ、政府は、国民に対し、北方領土問題の解決までの間、このような北方領土への入域を行わないよう要請することとする。


日本国民の観光等を目的とする北方領土への渡航自粛についてお願いです。

新聞等の報道によりますと「福岡市の旅行業者が実施した観光ツアー」で、日本人グループのツアー客がロシアの査証(ビザ)を取得し、今月23日に北方四島の国後島を訪問したことが明らかになりました。

北方四島への訪問について、政府では平成元年9月、閣議了解で国民に対して北方領土問題の解決までの間、今回のような北方領土への入域の自粛を上記内容で求めていますので十分注意してください。



~共同通信社記事抜粋~
福岡市の旅行業者が組織した観光ツアーの客8人と業者1人の日本人計9人が23日、ロシアの査証(ビザ)を取得して北方四島の国後島を訪問したことが分かった。日本人グループがロシアのビザを取って北方四島への観光ツアーを行ったのは初めてとみられる。

外務省ロシア課は「事実なら閣議了解に反し、極めて遺憾」とし、調査に乗り出すとしている。

日本政府は日本人がロシアのビザで北方四島を訪れることはロシアの実効支配を認めることにつながりかねないとして、89年の閣議了解に基づき、自粛を要請してきた。しかし今回の旅行業者は無視していた。

四島では7月にも北海道のメーカー技術者など2人が択捉島に渡るなど、日本人の渡航が続いている。今回、観光ツアーが表面化したことで、自粛要請のなし崩しが進む恐れが強まった。

国後島の古釜布(ロシア名ユジノクリーリスク)に入った旅行業者は共同通信の電話取材に対し、政府の自粛要請は知っていることを認めた上で「お客さんは皆70歳以上。世界各国を回られていて、行くところがなく、生きているうちには返還にはならないだろうということで、自分の目で日本領土だったところを見てみたい、というのが目的」と説明した。

ツアー客は東京都と大阪府のほか千葉、神奈川、富山、兵庫の4県から来た72歳から84歳の男女計8人という。いずれも北方四島の元島民ではない。ツアーは客の要望を受けて企画したが、公に募集はしなかった。

02年には非政府組織(NGO)の「ピースボート」の約530人が国後島を訪れ、外務省がロシア側の入国手続きに従ったとして批判したが、ビザは取っていなかった。

一行は23日にロシア極東サハリン州ユジノサハリンスクから空路で入域。国後島で観光名所を回り、択捉島も訪れる予定という。



8月26日(木)07:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | 旅行業界情報 | 管理

HARLEY-DAVIDSON(ハレー・ダビッドソン)

【左】ハーレーダビッドソンを生み出した創業者の4人
【右】この小さな納屋からキング・オブ・モーターサイクルの歴史がスタート。


今や世界にその名を轟かせる“キング・オブ・モーターサイクル”こと『ハーレーダビッドソン』が誕生したのは、1903年。アメリカ中西部のウィスコンシン州にある都市ミルウォーキーで、この町に暮らしていた4人の若者によってその歴史の幕を開けた。

日用品を用いて作られた第1号を皮切りに、ハーレーの代名詞である「Vツインエンジン」を開発するなど、第一次世界大戦など時代の荒波に揉まれながらも着実に前進しています。



ハーレーダビッドソン (Harley-Davidson) は、アメリカ合衆国ウィスコンシン州ミルウォーキー市に本部を置くオートバイ製造会社。

1903年にウィリアム・シルヴェスター・ハーレーとアーサー・ダビッドソン、ウォルター・ダビッドソンの兄弟によって設立された。日本では1912年に日本陸軍が初めて輸入を行ない、後にサイドカーを中心として軍用車両として用いられた。

一時期は国内で「陸王」の名でライセンス生産・販売されたこともあったが、製造メーカーが倒産した後は再び代理店による輸入販売のみとなり、現在は 1989年に日本法人のハーレーダビッドソンジャパン(株)が設立され正規販売を行なっています。

同社の設立以降個人平行輸入が激減し大規模販売ルートを確立させた。 各地に正規販売店、レターショップ(販売網)を置きフランチャイズ契約を行う。

それらのショップにはHOG(Harley Owners Group)Chapterを置き、ツーリングや地域活動に貢献している。

~出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』~


2001年、本社最高経営責任者兼会長は「高級なハーレーからポピュラーなハーレーへ、誰でも乗れるハーレーを目指す」との考えを示している。

ハーレーは音と鼓動を楽しむ乗り物でもあった。
しかし、環境保護の観点から、エンジンの登場、触媒技術の導入で、音や振動は以前のモデルよりも抑えられている。



1984年に登場したハーレー全ラインナップの中でも最もスタイリングにこだわっているファミリーと云われています。

クラシカルな雰囲気を醸し出しているFL系、よりカスタム色の強いFX系の2つの系統があります。

エンジンをフレームに直に搭載するリジッドマウントを採用することで、エンジンとフレームの隙間を小さくし、エンジンの美しさを強調しています

エンジンからの振動を抑制するバランサー付きの専用エンジンを装備することで、美しいスタイリングと快適な走行性能を両立させています。
リアショックを車両下に設置することで、快適性も保ちつつも、リアショックの無いハードテイル風のクラシックさを演出します



ハーレーらしさを強調する伝統的な外観と快適性を両立したソフテイル。

重厚感あふれるフォルムにシンプルな美しさを融合したモデルで、カスタムテイストをより際立たせるふんだんなクロームパーツです。確固たるスタイルや美しさは、一夜にして生まれることはありません。

長きに渡る歴史あればこそ生まれたファミリーです。



和製ハレーと云われた『陸王


陸王は、昭和10年に当時三共製薬の子会社が、1934年製のハーレーダヴィットソンMO DEL VL(1200cc)のライセンスを買って、その設計図を元に日本でライセンス生産されていたバイクです。

後、1935年MODELR(750cc)も国産化し陸王の主要モデルとなる。
戦時中は、陸軍軍用車97式側車を生産。戦後は生産を再開するが昭和24年、事業不振のため生産中止。
昭和25年3月会社経営が昭和飛行機系となり陸王モーターサイクルとして復活する。
以後1200ccは、主として側車用として750ccは単車として生産を続けるが他社の高性能と小型化の波に勝てず350ccや250ccも販売するが昭和35年倒産しました。

今では、「陸王」プレミアがつき、200~300万円位で取引をされているそうです。



8月26日(木)07:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | Car Collection | 管理


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