日本ブライト旅行社長のブログ
 
栃木県佐野市の旅行会社社長のひとり言です。
 


2007年3月5日を表示

03月05日(月) 訪問者

ボルボ・カーズ ヒロサワ 小山 営業鈴木様
〒323-0014 栃木県小山市喜沢667-1
TEL 0285-21-0005 フリーダイヤル 0800400-8070
vc-oyama@cars-hirosawa.co.jp
営業時間 9:00~20:00
「2006年最優秀デーラー賞」を受賞したそうです。
私たち家族は、営業の鈴木様と知合いになり、9年位になりますが誠実なお人柄で好感を持っています。
是非、ボルボの購入をご検討する際は、鈴木様にお声を掛けてください。

広沢グループリンク集

※ きっと良いことありますよ!



3月5日(月)22:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | visitor | 管理

Family crests

家紋とは、古くより特に日本において出自といった.
自らの家系、血統、家柄・地位を表すために用いられてきた紋章である。

単に紋所や紋とも呼ばれる。

◆家紋の起源
日本の伝統である『家紋』は現在2万種以上存在します。
起源は公家と武家で異なり、公家は平安時代末期から鎌倉時代にかけてで、始めは車の装飾として用いられました。
武家の場合は旗や幕の記章から転じたものが多く、また中には衣服の文様からのものもあります。
源平の戦いには源氏が白旗、平家が赤旗を用い党派の目印にしました。
しかし、全国の諸豪が参加する戦いの場合は自家の目印が必要になり、旗や陣幕に記章を描いて“氏”“苗字”を明らかにしていました。

文様としては原始時代、縄文時代の土器などからも現在用いられている家紋の原形を見ることができます。

家紋としての起源は上記の他にもいくつかの説があり定かではありません。

佐野市も家紋の街と宣言していますが知っている方がいるのかな?



3月5日(月)14:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | 社長日記 | 管理

「大人の休日倶楽部の旅」ご存知ですか?

吉永小百合さんを起用し「銀山温泉の旅」のCMが放映されています。
ストーリーは、「白銀の滝」→「やぎはし商店」→「旅館永澤平八」の順です。



ロケ地は、山形県尾花沢市銀山温泉。山形新幹線の大石田駅から銀山温泉行きバスで「終点」下車、徒歩5分。
銀山川にを挟んで木造の旅館が立ち並ぶ、こじんまりとした温泉街です。

時が戻ったようなレトロな気分を味わえます。



仕事も子育てもひと段落し、温泉旅行に出かけた50代夫婦。


旅館の部屋でうたた寝する妻(吉永小百合さん)の幸せそうな寝顔に、今日一日の旅のさまざまなシーン(上記の3枚)が挿入されていきます。

もういちど若い頃のような「ふたりの時間」を取り戻せるという、大人の休日倶楽部の旅の魅力を情感豊かに描いたCMです。



3月5日(月)09:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | 旅行業界情報 | 管理

「礼に始まり、礼に終わる」

小さいものが大きい者を投げ飛ばす。「柔よく剛を制す」という思想が示すアクションこそが柔道の醍醐味です。
武道の精神的な道を確立させ、「精力善良」「自他共栄」を理念に、社会や周囲の人たちに対して、自らの心身がどうあるべきかを示したものです。それを柔道に打ち込む事によって学ぶことが大切だと考えです。

「礼に始まり、礼に終わる」(大切ですね。)

競技の歴史
  柔道(正式名称:日本伝講道館柔道)は創始者である嘉納治五郎師範が、無手または武器を持つ相手に対する攻撃防御の術として古来より日本に伝わる「柔術」を学び、新たに技術的工夫と思想的創意を加えて体系化した体育・勝負・修心の道です。
嘉納師範は、柔道は心身の力を最も有効に使用する道であり、この原理はスポーツ運動の基本でもあると主張しました。

嘉納師範は、明治15(1882)年、東京下谷にある永昌寺の書院を借りて、わずか12畳の広さの道場を開き、柔道は単なる武術ではなく人間の踏み行うべき道である、として道場名を「講道館」としました。
国際柔道連盟(IJF)の規約第1条に「IJFは嘉納治五郎により創設されたものを柔道と認める」という一文があり、まさに明治15年の出来事は柔道の国際的誕生をも意味するものと言えます。

柔道競技を全国的に取りまとめる組織は、昭和24(1949)年5月6日に創立され、昭和63(1988)年6月8日に法人格を取得した(財)全日本柔道連盟です。
全日本柔道連盟は昭和24年10月26日、(財)日本体育協会に加盟し、同27(1952)年12月9日には国際柔道連盟に、そして平成元(1989)年8月7日、(財)日本オリンピック委員会に加盟しています。



■ 柔道競技の歴史

柔道競技がオリンピック種目になったのは、昭和39(1964)年第18回東京大会からです。
日本で生まれた柔道が東京の大会で初めて正式種目になったのですから、日本国民の期待は大きく膨らみ、全階級で優勝を、といった盛り上がりを見せ、選手、関係者もなんとしてでも勝たねばならない、と強化練習に努めました。

試合会場は日本武道館でした。
柔道ファンの予想通り軽量級の中谷雄英、中量級の岡野功、重量級の猪熊功の3選手が金メダルを獲得しました。
体重無差別の予選で日本のチャンピオン神永昭夫選手は身長1.98mのオランダ人、A.J.ヘーシンク選手に僅差で負け、敗者復活戦を勝ち抜き、決勝で再び対戦しました。
しかし、9分22秒、ヘーシンク選手は神永選手の掛けた体落を崩して寝技に引き込み、袈裟固で抑えました。
神永選手は善戦むなしく銀メダルとなりました。
この試合を見るために日本武道館に詰めかけた観客数は約15,000人でした。

柔道は昭和31(1956)年の第1回東京大会から世界選手権大会が行われている国際的スポーツであり、女子柔道は平成4(1992)年第25回バルセロナ大会からオリンピック正式種目となっています。
2004年現在、IJF加盟国数は187の国と地域を数えています。

競技の詳細は(財)全日本柔道連盟のホームページ「日本柔道 栄光の歴史」で、オリンピックの入賞者はJOCオフィシャルサイト「オリンピック歴代日本代表出場選手全記録データ」で検索できます。是非ご覧下さい。



3月5日(月)08:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | スポーツ | 管理


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