日本ブライト旅行社長のブログ
 
栃木県佐野市の旅行会社社長のひとり言です。
 


2010年11月7日を表示

日帰り 信州の旅

新規のお客様です。
ありがたいですね。

今回は、長野県へ日帰り旅行となります。
最初に向かううのが、小布施にございますニッポンの酒蔵「松葉屋本店」です。

住所 〒381-0201 上高井郡小布施町小布施778
TEL  026-247-2019
営業時間 8:00~18:30
定休日  年中無休
見学は無料、要予約。

江戸時代から続く日本酒の酒蔵です。
1回の見学人数は20名くらいまで、所要時間は、20分~30分程。店舗では試飲もできます。



酒蔵見学の後は、小布施の栗菓子の始まりと言われているの北斎館の横にある桜井甘精堂の栗おこわ定食が味わえる北斎亭(団体様用)で昼食です。

桜井甘精堂の祖である桜井幾右衛門が文化五年(1808年) に創製した「栗落雁」だそうです。創業202年の歴史ある一番老舗の栗菓子屋ですね。


食後は、北斎館に入館後、各自自由行動になります。

北斎館
東町・上町祭屋台二基の天井絵と、肉筆画を中心に、版本や錦絵など、北斎の画業を見ることができます。

〒381-0201 上高井郡小布施町大字小布施485
TEL 026-247-5206



北斎と高井鴻山は、江戸遊学時代に交流のあった画家・葛飾北斎が高井鴻山を訪ねて小布施にやってきたのは天保13年(1842年)の秋。
80歳を越えた老画家が、はるばる小布施を訪れた理由には諸説ありますが、天保の改革の過激な取り締まりを避け、北斎芸術のよき理解者であり、経済的な支援者としても頼もしい鴻山のもとへ、身を寄せたと考えるのが妥当だとされています。

北斎はその後再三にわたって来訪し、鴻山が提供した「碧漪軒」をアトリエに、数々の肉筆画の傑作や鴻山との合作をのこしました。鴻山は北斎を師と仰いで尊敬し、北斎は鴻山を「旦那様」と呼ぶ、折り目のある交流が続いたと伝えられています。

小布施をゆっくり散策したところで、善光寺へ向います。

信州 善光寺

極楽浄土に導いて下さると、一貫して男女平等の救済を説く寺院として知られていました。そのため、女性の参拝者が多いことが善光寺詣りの特徴です。



善光寺の信仰や歴史についても知ってほしい。

善光寺の宿坊の一つ「徳行坊」に所属する公認案内人が案内をする。宿坊の泊まり客への案内は日ごろも行っているが、一般客を対象にするのは初めて。訪れる参拝客は着実に増えている一方で、観光イベントとしての側面が強くなりつつあることから、歴史などもしっかり伝えていこうという取り組みの一環です。

公認案内人は、宿坊の住職や副住職、執事を対象にして、善光寺事務局が資格を与えている。徳行坊に所属する案内人のうち、法要などで忙しい住職らに代わり、10人いる執事のうち5、6人が一般客の案内を担当するそうです。

善光寺を訪れるだけでも信仰を感じることはできるが、善光寺についてより深く知ってほしいですね。

長野県を代表する古刹の『善光寺』は、一宗一派にこだわることなく、お参りにきたすべての人を極楽浄土に導いてくれることから「一生に一度は参れ善光寺」と言われています。

一年を通して多くの参拝者が訪れるが、秘仏でご本尊の身代わりである前立本尊が公開される7年に1度の御開帳の時には、広い境内が参拝者で埋めつくされ、いっそう賑わいが増す。

また境内には、国宝の本堂を中心に重要文化財の三門や、人間が死後に赴く6つの苦しみの世界に現れて救って下さるという六地蔵など、見どころが満載です。
無宗派の単立寺院です。山号は「定額山」(じょうがくさん)。
住 所   長野市元善町491
問い合わせ 善光寺事務局/026-234-3591


種田山頭火句碑

山頭火の俳句「八重桜うつくしく南無観世音菩薩像」と、「すぐそこでしたしや信濃路のかっこう」が刻まれています。どこにあるでしょうか?



重要伝統的建造物群保存地区 海野宿

「本うだつ」は江戸時代のもの、「袖うだつ」は明治時代のものです。どちらも富裕な家でなければできるものではありませんでした。このようなところから「うだつがあがらぬ」という言葉も生れています。

我が家は、カナダからの輸入住宅。総ニ階です。中々うだつがあがりません。

町並みは、江戸時代の旅籠屋造りや茅葺き屋根の建物と、明治以降の堅牢な蚕室造りの建物とがよく調和して伝統的な家並みを形成しています。

道の中央を流れる用水、その両側に立ち並ぶ格子戸のはまった美しい家並みは、歴史のふる里をを想わせる静かなたたずまいを感じさせ、海野宿の産土神である白鳥境内の社そうは神社の歴史を物語り、中央にあるけやきの木は樹齢七百年を超えています。

海野宿いい場所だ。

信州には、地域ごとで良い場所が多い。
小布施、善光寺、海野宿を御見学して頂きました。

今回は、新車をご提供下さいました北関東観光バス様ありがとうございました。



11月7日(日)21:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | 添乗報告  | 管理

小布施散策とりんご狩り

弊社を6時20分。信州へ出発いたしました。

豪商の館田中本家博物館

所在地 〒382-0085 須坂市穀町476
営業時間 通年営業
TEL 026-248-8008
料金 大人 :700円

江戸時代中期に創業し、須坂藩の御用達を務めた田中本家。家伝の書画、陶器など貴重な所蔵品を展示しています。今回は、前日にご連絡を学芸員の田中様に御無理を言いまして、見学と茶席の用意をして頂きました。


 豪商の館 田中本家博物館 学芸員田中様
世が世なら豪農の御当主と話など出来ません。

 豪商の館 田中本家博物館

弊社に以前田中様が営業にご来店して頂いた時以来の御付き合いです。

普段、公開していない主家にて、お客様に紅葉の美しい庭園を眺めながらお茶をお召し上がりいただきました。

博物館内は、撮影禁止です。
歴史的な価値を未来に伝えるために保存状態を良くしたり、博物館の維持をするためにご協力をしましょう。

最高の一日です。お客様も大満足。



小布施は、東西4キロ四方の長野県で一番小さな街です。その狭いエリアに全国的に有名な栗菓子屋さんや、日本料理、そばや、フランス菓子、イタリアン、フレンチなどがお店を開いており和洋問わず様々な食材がそろっております。日本酒の酒蔵も4蔵あり食文化のレベルの高さが伺えます。

昔、酒は、水の良いところに出来ると言われました。
江戸の時代の運ぶ「松葉屋本店」へ。
人混みの中をゆっくりとバスを進めやっと到着すると杜氏の杉原逸夫さんがお出迎え、説明は、14代目当主の市川博之社長が蔵を案内をして下さいました。お二人とも40歳とのこと若い。

そして、試飲。売店では、蔵元の二大銘柄「吉乃川」と「北信流」が販売されています。(売店でも試飲可)



江戸時代後期に創業し、代々松代藩ご用達の地酒として商いを営んできた蔵元です。レンガで高く積み上げた煙突が目印。地元の高級米である美山錦からつくる地酒の銘柄は「吉乃川」「北信流」で、大吟醸、純米酒などがある。
  株式会社松原屋本店  銘柄
吉乃川という銘柄は全国に沢山ございます。暖簾や樽に小さく「」と申し訳なさそうに小さく書いてあります。「吉乃川」、そして「北信流」の名称を冠にしたお酒は、江戸期以来数多くの宴の席で振舞われてきました。それは、松代が発祥の地であるといわれ、特に北信地方で宴会などの席で行われる儀式を「北信流」と伝わる宴席での中じめの儀式のことです。
宴の主催者側やその日の為に尽力した人に対する感謝の意味を込め杯を差し、その肴に謡い(小謡)をする儀式名から引用した「北信流」。

「北信流」という銘柄は、とにかく、吟醸の香りが特徴です。
大吟醸という割には少しインパクトが弱い気もしますが、米の味がドンときて、喉から引いていきます。濃厚だけど爽やか!

上級者でも初級者でもお薦め出来る日本酒です。
※常温以外にも色々な温度で味わうことも味の幅が拡がると教えて頂きました。試飲では燗や冷に出来ません。
松葉屋本店14代目当主の話では、代々松代藩に日本酒を納める御用商人で、酒蔵の隅にはその当時の蔵元が乗って行ったと思われる籠が残り、その当時真田氏よりいただいた徳川の葵の門が入った台もあるそうです。 

今日は、歴史を守り進化をしようとする同年代の方に会うのだろう。続いて小布施の中心地へ移動。



少しほろ酔い気分になったところで、満車の北斎館駐車場へ。バス!バス!人!人!

ここでは、自由行動を2時間とりそれぞれ満喫していただきました。混んでいるから、食事を後にして散策する方とどうしても食事をしたいという方は、午前中に予約した、桜井甘精堂 北斎亭に頼みこみ座席を確保。
その他のお店は、予約がいっぱい。土曜、日曜は、食事の営業はしないという店もあります。

桜井甘精堂さんありがとうございました。
※お客様もとても美味しかったと喜んで頂きました。

北斎館では「富士と桜展」を開催していました。
直ぐとなりの「おぶせ庵」は、鉄腕アトムが目印です。
通常350円のソフトアイスクリームが300円とちょっぴりお得なチケット(日本ブライト旅行オリジナル)で、お好きな種類が3種類選べてお召し上がりくださいました。

おぶせ庵の堀内社長は、店内でソフトクリームづくりをされていました。「だれか!だれか!」と繁盛店は、大忙しです。

お客様と街並みを散策させて頂きました。



中野条フルーツランド

住 所 〒382-0001 須坂市小河原松川3750
T E L  026-245-1955

果樹の大産地である信州で、時代のさきがけとなった「りんご狩り」の元祖と言われる「中条フルーツ農場」。 昭和38年、1台のバスが偶然に止まり「りんごを売ってほしい」と頼まれたのをヒントに「これだ!」とひらめき若干22才の若さでフルーツ狩りの出来る農園を始めたという中條社長は、バイタリティーの持ち主です。早くからコンピューターを取り入れ、宅配も出来る顧客管理にも乗り出したそうです。

「信州フルーツ王国振興会」の副会長でもあります。
本日は私たちの前に12台もの団体(市会議員さんの後援会)が、帰るところでした。「500名も来たんですよ」と係の方がお話し下さいました。お客様30分1本勝負!3個が限界?
長野県人は、仕事に一生懸命取組む人が多い。
わたしも頑張るぞ!!

帰路は、渋滞で1時間ほど遅く到着となりました。お疲れ様でした。



11月7日(日)21:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | 添乗報告  | 管理


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