日本ブライト旅行社長のブログ
 
栃木県佐野市の旅行会社社長のひとり言です。
 


2010年5月25日を表示

長寿的なモデル コペン

2002年に、ダイハツからコペンが世に送り出され、もう8年を迎える長寿的なモデルです。

でも凄いと思う。
デザイン力の高さだろう。
全く色あせないからです。

ダイハツの軽自動車のミラからメカニズムを受け継ぎ、コペン専用となるボディを載せている。

走りを意識した低重心で力強いイメージがいいですねで。

完成されたフォルム。
デザインは、ティアドロップシェイプシルエット(楕円あるいは涙形)と呼ぶものを組み合わせた、かわいらしい雰囲気となっている。



フォルム的に似たクルマとしては、ドイツ社のアウディTTがありますが、コペンは、TTに負けない完成されたデザインです。
また、オープンカーとして、オープンにしてもクローズドにしても、どちらでも優れたカタチを実現しています。



そんなコペンのデザインでまず注目できるのは、フロントおよびリアのフェンダーの造形だろう。エクステリアではヘッドライトとテールランプの造形も見事。
極めてシンプルな形状ながらも、ボディ面との関係性や内部のつくり込みまで、実に丁寧な仕事をしています。



エクステリアは、光と影が織り成すコントラストが映え深みが感じられるデザインでもある。

一方でインテリアは古典的なオープン2シータースポーツの世界をしっかりと表現したものとなっている。

完成された強いインパクトを持つコペンは登場から既に8年目を迎えた長寿的なクルマです。その人気は相変わらず衰えることなく今もコンスタントに売れ続けているという日本車としては希有(けう)な1台です。



コペンには、後継モデルが存在しております。
数々のモターショーに展示されたが、いまだそれが発売されると発表されません。

次期型は、デザイン的には現在のコペンの方が明らかに強いインパクトを持っているからでしょうか?
軽自動車ながら日本を代表するデザイン性に優れた1台だと思います。

近場を乗ってみたい車ですね。
私は、ATで良いのですが・・・。

若い頃には、ホンダのプレリュード、ニッサンのシルビア、マツダのロードスター、トヨタのM2などのデートカーと言われる車もありましたね。

今は、若い世代には何が人気があるのでしょう。



5月25日(火)20:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | Car Collection | 管理

自動販売機 第18回集計 3週連続記録!

自動販売機の売上が出ました。

 
販売記録3週続けて更新致しました。感謝!


5月19日(水)~5月25日(火)243本でした。
7日間ですから一日約34.71本の売上です。
累計本数3,206本  
週平均 178.11本 
日平均 25.44本

ご利用ありがとうございます。
街を明るくしたい。安全な夜間の道。
どうぞ、ブライト通りを散歩のコースに取り入れてください。

道の駅「どまんなかたぬま」へ200m
東武鉄道佐野線「吉水駅」へ 800m



売上ランキング


No1 BOSS 贅沢微糖・・・・・・・22C
No2 BOSS 地中海ブレンド・・・・21C 
No3 BOSS DRY ・・・・・・・・・19H
No4 BOSS 贅沢微糖・・・・・・・15H
No4 BOSS レインボーマウンテン・15H
No5 BOSS ゴールドプレッソ・・・14C
No5 BOSS ゴールドプレッソ・・・14H

売上No1は、こだわりの「贅沢ドリップ」いい豆のいいところ、だけ。雑味が含まれるドリップの最後の部分はあえて使いません。ぞれが贅沢微糖のぜいたくドリップです。

コールドでNo1。ホットでNo4と大健闘。

只今、ラーメン店が近所で建設中です。
間もなく完成になるようです。

徒歩で行けるラーメン店
・大将ら~めん
・花と華
・坂東太郎

出前をするラーメン店
・上海ラーメン
・行世軒

新しく出店するラーメン店は、どんな味かな?
販売機から徒歩110mです。
ブライト通りが少し明るくなりそうです。

ご近所の小さなお子さま、昼や夕方からの食事タイムは車の通行量が増えるとおもいます。
安全に注意するようご協力をお願い致します。 



5月25日(火)12:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | 自動販売機  | 管理

ラッシャー木村さん 逝く

プロレスラーとして活躍した「ラッシャー木村」こと木村政雄さんが5月24日、腎不全による誤嚥性肺炎のため亡くなりました。
68歳でした。

馬場、猪木という超スターの陰で3番手のポジションを生きた男の姿。
組織のキャリアの道が、決して「表」だけでないことを教えてくれました。



木村さんは1941年北海道出身。
大相撲の宮城野部屋を経て日本プロレスに入門。
その後東京プロレスから国際プロレスに移籍した。
国際プロレス時代は過激なデスマッチで名を上げ「金網の鬼」の異名を取り、75年にはIWA世界ヘビー級王座を獲得した。

国際プロレスの解散後は新日本プロレスに参戦。
第1次UWFにも参加したが程なく離脱した。
その後、全日本プロレスに移籍し、ジャイアント馬場とタッグを組み人気が高まった。

マイクパフォーマンスは有名で、数多くの名文句を生み出した。試合後、観客から「マイク!マイク!」とパフォーマンスを求めるマイク・コールが起こるほどだった。

馬場没後の00年、全日本のエースだった三沢光晴が立ち上げたノアに参戦。前座試合で人気を博していたが、03年3月の日本武道館大会を最後に体調不良により長期休養に入り、04年7月、ビデオレターで引退を表明している。

2003年からプロレスリング・ノアの終身名誉選手会長に就任。
・若鷲
・ラッシング・パワー、吠える闘将、金網の鬼
・マイクの鬼、オトウト(弟)、ミスターマイク
などと呼ばれていた。



1981年9月23日、田園コロシアムで行われた新日本プロレスの興行に浜口、寺西勇を連れて現れた木村はリング上でマイクを取ると決意表明に先立ち、まずは集まってくれた観客に対し挨拶をしなければと思い「こんばんは…」と丁重に挨拶を行なった。



これは団体対決に付き物の殺伐とした雰囲気を好む当時のファンを拍子抜けさせ、会場の失笑を買った。

木村さんの人柄が滲み出ている事件であった。
あいさつ出来ないような人間では駄目である。



アントニオ猪木率いる新日本プロレスリングとの抗争。
後にUWF、全日本プロレス、レスリングノアと活躍の場を移すラッシャー木村さん。

断り切れなかった男 PartⅠ




断り切れなかった男 PartⅡ




あのルー・テーズも馬場、猪木、木村の3人で一番強いのは木村だと言っていた。

自分のこれが目指す道。
不器用な生き様をわかる人はわかる。
輝く部分が光らなくても、滲み出るものが木村さんにはあった。

惜しまれつつ、一人のスポーツ選手が逝った。



5月25日(火)07:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | スポーツ | 管理


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