ラッシャー木村さん 逝く |
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| プロレスラーとして活躍した「ラッシャー木村」こと木村政雄さんが5月24日、腎不全による誤嚥性肺炎のため亡くなりました。 68歳でした。
馬場、猪木という超スターの陰で3番手のポジションを生きた男の姿。 組織のキャリアの道が、決して「表」だけでないことを教えてくれました。
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| 木村さんは1941年北海道出身。 大相撲の宮城野部屋を経て日本プロレスに入門。 その後東京プロレスから国際プロレスに移籍した。 国際プロレス時代は過激なデスマッチで名を上げ「金網の鬼」の異名を取り、75年にはIWA世界ヘビー級王座を獲得した。
国際プロレスの解散後は新日本プロレスに参戦。 第1次UWFにも参加したが程なく離脱した。 その後、全日本プロレスに移籍し、ジャイアント馬場とタッグを組み人気が高まった。
マイクパフォーマンスは有名で、数多くの名文句を生み出した。試合後、観客から「マイク!マイク!」とパフォーマンスを求めるマイク・コールが起こるほどだった。
馬場没後の00年、全日本のエースだった三沢光晴が立ち上げたノアに参戦。前座試合で人気を博していたが、03年3月の日本武道館大会を最後に体調不良により長期休養に入り、04年7月、ビデオレターで引退を表明している。
2003年からプロレスリング・ノアの終身名誉選手会長に就任。 ・若鷲 ・ラッシング・パワー、吠える闘将、金網の鬼 ・マイクの鬼、オトウト(弟)、ミスターマイク などと呼ばれていた。
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| 1981年9月23日、田園コロシアムで行われた新日本プロレスの興行に浜口、寺西勇を連れて現れた木村はリング上でマイクを取ると決意表明に先立ち、まずは集まってくれた観客に対し挨拶をしなければと思い「こんばんは…」と丁重に挨拶を行なった。
これは団体対決に付き物の殺伐とした雰囲気を好む当時のファンを拍子抜けさせ、会場の失笑を買った。
木村さんの人柄が滲み出ている事件であった。 あいさつ出来ないような人間では駄目である。
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| アントニオ猪木率いる新日本プロレスリングとの抗争。 後にUWF、全日本プロレス、レスリングノアと活躍の場を移すラッシャー木村さん。
断り切れなかった男 PartⅠ
断り切れなかった男 PartⅡ
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| あのルー・テーズも馬場、猪木、木村の3人で一番強いのは木村だと言っていた。
自分のこれが目指す道。 不器用な生き様をわかる人はわかる。 輝く部分が光らなくても、滲み出るものが木村さんにはあった。
惜しまれつつ、一人のスポーツ選手が逝った。
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5月25日(火)07:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | スポーツ | 管理
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