日本ブライト旅行社長のブログ
 
栃木県佐野市の旅行会社社長のひとり言です。
 


2009年12月26日を表示

「いま、生きるということ」

「いま、生きるということ」

「志ある国民を育て、品格ある国家・社会をつくっていく基盤となるのは教育である」という理念のもと、教育再生会議が設置され会議のメンバーに、“ヤンキー先生”こと義家弘介さんが任命されたのご存知かと思います。
 
常に教育の現場で子どもたちと真正面から向き合う義家さんの 強い信念と熱い想いを講演で伺うことができました。

メッセージ
教育は行き止まっている。取り残されている。そんな中で、もはや分析する時間は終わった。今こそ不器用でも第一歩を踏み出す。それが絶対的に必要な時間が来た。俺は良い先生になることはもういいと思った。なぜなら良いなんていう概念自体が崩壊しているから。だから、不器用でも誰よりも一生懸命な教師、誰よりも一生懸命な大人でいたいと今思っている。そんな中で、みんなで新しい道を作っていかなければいけない。新しい教育の道を作っていかなければいけない。

参議院議員「義家弘介」OFFICIAL WEB SITE

説得力を失った今の教育

日々社会が目まぐるしく変化するなか、子どもたち、そして教育に携わる教師・親たち自身も多様化・複雑化しています。このような時代に、個々の子どもたちとしっかり対面出来る様々な先生も存在することは、教育にとってとても良いことだと義家さんは語ります。

しかし、「現在の教育のあり方は終わっている。今、教育は説得力を失っているのです」。
強調するように、ゆっくりと語りかける声が響き渡り、 約1500名の聴講者が集まった会場は静まり返りました。

「みなさん、考えてみてください。学校とは一体誰のためにあるのか?それは、“子どもの成長”のためにあるもので す。それなのに、今は先生たちの教育のベクトルがバラバラの状態です。色んな先生が別々の方向を向きながら「これが自分の個性だ、教え方だ」などと言いながら、それぞれ違うことをしている。こんな教育のスタートラインにすら立ててない状態ではダメだ」。

教師が向いている方向がそれぞれバラバラである。



それならば、まずは親が子どもとどう本質的に向き合うかを考えていかなければならないと義家さんは続けます。

「まず親が“子どもの成長”ということにベクトルを合わせ、真剣に考え、そして真剣に子どもに向き合わなければいけない。今、教育は説得力を失っているのです。まず、大人たちこそが胸を張ってそれを示す、そんな時代であると思います。大人たちよ大志を抱け、胸を張れ、想いを語れ。」

マニュアル化できない教育


今日、子育てや教育関係の書籍が飛ぶように売れています。これは、教育を一元化出来ないことで、“育て方” に不安を持つ親や教師が多い証拠だと、義家さんは考えます。

「不安があって当然です。子どもはモノではありません。一人ひとり違います。 だから、機械を作るみたいに合理化した育て方のマニュアルなんて存在しないし、そもそもこの世の中に教育以上に効率の悪い営みはないです。 一人ひとりに真剣に向き合えば向き合うほど、不効率になり難しさが増します。」

子どもたちのゴールはバラバラですが、それらはみな“掛け替えのない可能性”です。 そして、それらに向き合っているものが、教育です。 真剣に向き合えば向き合うほど、効率は悪くなり、そして教育に携わる親や教師はボロボロになっていく・・・

「しかし、必死でさえあれば、効率が悪くとも一人ひとりに合った良い教育が行われていると、私は思う。そして、そうすることで子どもたちとの間に信頼が生まれ、絆が生まれ、やがて彼らは自分自身の足で、自分自身のゴールに向かっていけるようになるのではないか」。



“育てる”という普遍

教育に絶対のマニュアルは存在しないのに、尚も安直な方法を求めようとする世間の流れ。そして、説得力を失う教育。これは、戦後核家族化が進み、昔からの“育てる”という親学が踏襲されてこなかった弊害が今出てきているのだと、義家さんは考えます。

「“育てる”という普遍は、どんなに時代が変わろうとも、変わらないものです。“育てる” とはどういうものか?みなさん今一度考え直してみてください。」

第一に、“ 聴く”ということ。
「人間は口が一つしなないのに対して耳が二つあるので、喋る2倍聴かなければならないと言われます。みなさん、子どもにあれこれ言う前に、その2倍相手のことを聴いていますか?
 子どもは語彙力が少なく、上手く自分の気持ちを言語化出来ないことが多い。それなのに「屁理屈言うな!」と一蹴してしまう大人を、どんな子どもが信用できるでしょうか?
 まずは、言葉をしっかり聴き、そして相手の雰囲気や眼を注意深く伺い、心の声を聴くことが大切です。」

第二に、“伝える”ということ。

「どんなに聴こうとしても聴けないこと、どんなに伝えようとしても伝え切れないことはあります。しかし、その“伝えよう” とする真剣な気持ちと姿勢が大切なのです。例えば、“あいさつ運動”や“ありがとう運動”。ろくに挨拶が交わされなかったり、感謝の気持ちをお互いに言い合えない環境において、子どもたちは一体どんな挨拶が、そして「ありがとう」が言えるようになるのでしょうか?」

第三に、“学ぶ”ということ。
「ものを教える前に、まず自分が学ぶ主体でないといけないとは、よく言われることです。教育に関心を持ち、子どもの将来を真剣に考えているのであれば、先生と親はもっと腹を割って話しをし、“子どもの成長” ということにベクトルを合わせなければなりません。そして“育てる”ということを考えてみてください」


全国的に教育が注目を集める今、改めて教育についてじっくりと考え、 大人たちこそ「胸を張り、大志を抱き、想いを語る」ことが大切なのかもしれません。



12月26日(土)23:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | 自己啓発 | 管理


(1/1ページ)