日本ブライト旅行社長のブログ
 
栃木県佐野市の旅行会社社長のひとり言です。
 


2008年8月15日を表示

第28回納涼盆踊り大会 

町内の盆踊り大会が開催されました。

第28回盆踊り大会
日時:平成20年08月15日(金)
会場:新吉水第二公園
主催:新吉水町南・北町会・新吉水地区コミュティ推進協議会

家の外に出ると西の空に雷が鳴っている。

櫓の上に育成会のお母さん方が踊る。
また、その周りを囲むように女性や子供が踊る。

照明を消し花火大会が始まります。
櫓の周りに子供を集め育成会の方が花火を配ります。
フィナーレは、自警団の方が打ち上げ花火を上げる。

そして、抽選会。
抽選券受付:19:00~20:30 
我が家の番号は、「0325」。

当たりましたビールセット。

雷の数が増し途中で中止。
残りの方は、役員さんが抽選をして班長さんが後日配るそうです。

今年は、町内の運動会も中止でした。
自然の恵に見放されたか?
また、盛上らないイベント。
前年の反省会費用は運営費の半分も使用して、反省なき反省会では、駄目でしょう!

という町民。

そうですね。
放送を中学生にやらせたら若い子が集まるのに、人生経験豊富なお父さんが・・・。

それと、屋台の夜店は地元住民がやったほうが・・・。
寄付は、夜店の収益で賄えばいいのだろう!
盆踊りよりオリンピックですか。。。
と若い方々(30才代)の意見も当然ですね。


しかし、実行委員のみなさん大変お疲れさまでした。
何をするにもボランティア精神がなければ成立たない町の行事です。

ありがとうございました。

それにしても、ビールが当たるなんて・・・。
オリンピック放送が見たくなりました。
            



8月15日(金)21:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | 佐野市素敵なところ | 管理

致知

月刊『致知』(ちち)とは

人の生き方を探求する“人間学の月刊誌”です。

毎月有名無名を問わず、各界各分野で一道を切り開いてこられた方々の貴重なご体験談をご紹介し、人生を真面目に一生懸命に生きる人々の〝心の糧〟となることを願った月刊誌です。

人間学とは…
人間の徳性を養っていく学問のことです。

人が人に成るための学びには2つがあります。
1つは時代に即した知識や技能を得る「時務学」
もう1つが「人間学」です。

そして、時務学が「末学」と呼ばれるのに対し、
人間学は「本学」と呼ばれます。

人間学で徳を養うから
時務学で得た技能も知識も生かすことができるのです。
逆に、徳を学ばない人が
いくら知識、技能を勉強しても
正しく用いることができません。

徳性を忘れた結果がどうなるかは、
いま世の中で起きている数々の事件や不祥事などを
見ても明らかでしょう。
人間学を持たない人が時務の才だけで成功しても、
それは邪悪に陥りやすいのです。

人に対する思いやり、愛情、
困難に立ち向かう勇気、謙譲の心、礼節……、
これら徳性に含まれる性質は、
人間が生まれつき持っているものですが、
修養して開発しなければ埋もれたままになってしまいます。

人間が本来持っているよきものを輝かせる――。



2005年12月号:特集「縁を生かす」を紹介します。

その先生が五年生の担任になった時、一人、服装が不潔でだらしなく、
どうしても好きになれない少年がいた。
中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。

あるとき、少年の一年生からの記録が目に止まった。
「ほがらかで、友達が好きで、人にも親切。勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。
間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。

二年生になると、「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻をする」と、
書かれていた。
三年生では「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りをする」
後半の記録には「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、
四年生になると「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、
子供に暴力をふるう」

先生の胸に激しい痛みが走った。
ダメと決め付けていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として、
自分の前に立ち現れてきたのだ。
先生にとって目を開かれた瞬間であった。

放課後、先生は少年に声をかけた。
「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?
分からないところは教えてあげるから」少年は初めて笑顔を見せた。

それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。
授業で少年が初めて手を上げた時、先生に大きな喜びがわき起こった。
少年は自信を持ち始めていた。

クリスマスの午後だった。
少年が小さな包みを先生の胸に押し付けてきた。
あとで開けてみると、香水の瓶だった。
亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。
先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。
雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、
先生の胸に顔をうずめて叫んだ。

「ああ、お母さんの匂い!きょうはすてきなクリスマスだ」

六年生で先生は少年の担任ではなくなった。
卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。

「先生は僕のお母さんのようです。
そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした」

それから六年。
またカードが届いた。
「明日は高校の卒業式です。
僕は五年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。
おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます」

十年を経て、またカードが来た。
そこには先生と出会えたことへの感謝と父親に叩かれた体験があるから、
患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。

「僕はよく五年生のときの先生を思い出します。
あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。
大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、
五年生の時に担任してくださった先生です」

そして一年。
届いたカードは結婚式の招待状だった。

「母の席に座ってください」と一行、書き添えられていた。



「縁を生かす」~ 抜粋 ~
女性教師と男の子の感動的な話しです。
人の数だけ人生がある。
真摯に生きる人の人生には学びがある。



8月15日(金)18:06 | トラックバック(0) | コメント(4) | BOOK | 管理


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