トップの辛いところ |
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| トップの辛いところ
弊社は、2001年3月に創業。 この年の9月に起きた事件は、世界中の人々が覚えているでしょう。
私は、栃木県の福祉団体でお隣の茨城県に添乗業務で県や市町村の職員や会員の方と宿泊をしました。 確か台風の接近を心配し、テレビをつけたところあのアメリカでの同時多発テロ事件がどのチャンネルでも放送されていました。
このときに米国大統領は、事件発生時にフロリダの小学校にいました。しかし、軍の施設に避難をし、ワシントンに戻ったのは事件発生から10時間も経ってからでした。この対応にアメリカ国民より批判を受けました。
一方、ニューヨーク市長は、ただちに現場に駆けつけました。市長自身も倒壊したビルの地下に閉じ込められましたが、なんとか這い上がり、そのあとは地元テレビ局を通じて、被災の状況と救援の模様を刻一刻と伝えながら、沈着な対応を市民に呼びかけました。
大統領の対応も理にかなっているかもしれません。 しかし、事態の収拾のために前線に立って指揮をし、毅然としてテロと闘っている市長の姿が称賛されたのはそれゆえだったのです。
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| チャーチルとドゴールをニクソンがリーダーについてとして論じています。
ナチスが台頭する中で、イギリスのチャーチル首相は65歳にしてようやく首相になりました。その日の日記に「私はついに全てについて命令を出せる権威を手に入れた。私の過去の人生はすべてこのとき、この試練のための準備だった」とチャーチル首相は書きました。
ニクソンは、「チャーチルが権力を求めたのは、他の誰よりも自分がそれを巧くみに行使できると心から信じたからにほかならない。彼は時代の危機に処理する能力と性格と勇気を持つのは、自分独りだと信じた。そしてその信念は正しかったのである。」
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| それでは、フランス大統領のドゴールはどうだったかと言うとフランスの栄光は、全て自分の一身にあるという自覚がありました。ドゴール大統領と首相があるときに乗った車が大群衆の中を通りかかったときドゴールが首相に「国民がいるようなら自分は手を振りたいんだが」と言ったというのです。 ドゴール大統領は、目が非常に悪い。それにも関らず、彼は眼鏡をかけることを自らに許しませんでした。 なぜなら、フランスの栄光を担っている大統領は眼鏡をかけてはいけないと思っていたからなのです。
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| ニクソン大統領は、深い敬意をこめて紹介している。
ニクソン(左)の横にいるのが私の好きなエルビス・プレスリー(右)です。
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| まったく知識がなくて困っても、社会では誰もがその道の師匠のようなものだ。
わからなければ聞けばいい。ここでは、生身の人間から知識以上の知恵が入ってくる。
トップとして何をするか。 考えて、考え抜けばいい。
リーダーの自覚を持つこと。志や理念を持つこと。 感謝の気持ちを忘れないこと。
先月、友が会社を撤退した。
そして、今日も9年来の付き合いがある社長から、バス会社と旅行会社を辞めました。・・・。 後に相談があると・・・。辛い。 本当に辛い。
トップは、対応だけでない。
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3月15日(日)22:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 社長日記 | 管理
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