日本ブライト旅行社長のブログ
 
栃木県佐野市の旅行会社社長のひとり言です。
 


本気な人間になれ

我が家は、私以外、妻も息子たちもソフトテニス経験者です。
中学校に入学した二男がソフトテニス部に入部し、良きパートナーに恵まれて活躍をすることが多く試合を楽しみに応援に行っています。

ふと、気がついたことがあります。
6つ上の長男も高校まで、ソフトテニスをやっていて、同じように良いパートナーに恵まれていました。
当時は、勝敗に拘った応援を私はしていたようです。
今思うと恥ずかしく思います。

あの「絶対無二の一球」の言葉で有名な福田雅之助氏の「本気な人間になれ」の中にも『テニスの大きな目的の一つは、フェアプレーをし、スポーツマンシップを発揮することにある。そこに、勝敗を越えた「グッドルーザー」の所以がある。これが本当の眼目だと思う。』とあります。

私たち親は、子どもたちに本当の意味でのスポーツマンシップというものを教え、伝えなければいけないと思います。

ともすれば、勝利至上主義になりがちですが、勝敗を越えたところに価値を見出すことが大切です。人間性が向上しプレーヤーを見ている方たちがさわやかになれるようなプレーを望みます。
 
大会などに参加している選手は、多くの方に見られているのです。フェアプレーを体得した立派なテニスプレーヤーがあふれるチームや地域、大会となると良いと思います。

この一球は絶対無二の一球なり
されば心身を挙げて一打すべし
この一球一打に技を磨き体力を鍛え
精神力を養うべきなり
この一打に今の自己を発揮すべし
これを庭球する心という

この言葉はとても有名な言葉で早稲田大学の故福田正之助先生が残されたものです。

あの松岡修造選手がウィンブルドン・ベスト8をかけた試合でマッチポイントを握ったとき、叫んだ言葉でもあります。一球一打に全力を尽くし、一ポイントずつ積み重ね、勝利に向かっていくことだという、逆転ホームランのないスポーツであるテニスの心を記した名文です。



本気な人間になれ

君達は早稲田の校風を慕って、早稲田に入学した学生であるから勉学が第一である
そして好きなテニスをするために、庭球部に入った志を持った、同じ庭球好きな人達の集りである。皆庭球の熱愛者である。選手はピラミッドの頂点であり、部員はその土台を築いているのだ。その土台の多数の部員が、頂点の選手を支持しているのだ。
従って下積みの多くの部員がいなくては、強い選手は出てこない。選手は部員の下積みの苦労に感謝し、部員は選手を盛り上げる努力を喜んですべきである
ここに団結が生れる。

従って上級生は下級生を思いやり、下級生は上級生を敬い、同僚は互いに親しみ励まし合う、ここに和の結合が生れる。
左手が右手に従い、手足が一つの動作に従うように、協力し協心してより強い庭球部を造るのが、部員のモットーである。
部則には欣然として順う。徒らに批評したりしないで、まず従順で自分の務めをしっかり行うべきである。

君達は早稲田に入った時は、素直に熱心にテニスしようと心を決したことだろう。その素直な心と純真な心を忘れないようにして欲しい。
一年を過ぎると入学当初の純な心を忘れ勝ちになる。
二年目に危機が訪れる。部生活にも馴れてきて、心に油断が生れる。この時テニスを忘れて、脇道に外れやすい。四年間熱心にテニス一筋にやれば、教室で得られない教訓を体得出来る。
初心忘るべからず

庭球部にはロール引き、ライン引き、コートの水撒きなどという仕事がある。一年生は皆この仕事をしてきたのである。嫌なつまらぬことだと思うかも知れない。これは長年に亘って続けられてきた、尊い訓練である。
これを怠って得をしたと思ったら、間違いだ。その怠けは逆に大きな損である。世界的の大選手になった、故佐藤次郎も忠実にこれらをやっていた。忍耐力と辛抱心の試練がそこにあるのだ。自分の責任を喜んで果すことが、庭球部員の資格である。つまらぬことと思わず、喜んで進んでやる心があれば、嫌でなくなる。つまらぬと思ったりするから、つまらぬことになるのだ。小事を大切にして、進んでやることで、小事が大事となるのである。一たびコートに立ったら、なんでもいつでも本気でやれ。球拾いをしていても、その球拾いを忠実に本気でやれ。本気でやれば、そのコートのプレーをよく見ることになる。サーバーがどっちだったかと、判らぬようなうっかりした球拾いをしていてはいけない。そのコートのプレーをよく見ていなければ、いい球拾いはできない。

両プレーヤーをよく見ていれば、両プレーヤーの動きが判る。向うのプレーヤーが、どこに打とうとしているかが判るようになる。こちらのプレーヤーがどう動くか考える。どうしてあんなつまらぬエラーをするかと、自分に判るようになれば進歩である。そして自分もあんなエラーをしないようにする。他人のテニスを見なければ、テニスは進歩しないというのはそこにある。球拾いを本気でやればよい経験を得る。球拾いもコートを走ることも、体操も本気でやって自分のものにせよ。

テニスは生やさしいスポーツではない。あの球をラケットの真中で、いつも打てるようになるには、時と努力がいる。ある球の返球は、相手コートのある場所に、ぴったり打てるようになるのは、容易なことではない。

一球に精神と動作を集中し、一打に全精力を集中せよ。君達は確信を持って、一打しているだろうか。半信半疑で球を打っていないだろうか。自信を持って、しっかり球を打てるまで、精進努力し実力をつけるまで、練磨すべきである。

テニスは平生が肝心である。平生いい加減な練習をしていては。いざ試合となった時、自分の力を十分発揮することはできない。練習即試合である。この心掛けでなければ、いい試合はできない。平生どんな練習をしているかが、自ら試合に現れる。試合になってあわてても遅い。

だから平生の練習をいつも、ベストを尽くしてやるように心掛けよ。そうすれば試合に自分の力が現れる。平生しっかりとした練習をしていなければ、立派な試合は出来ない。試合を恐れず上らず無心で、ベストを尽せるようになるには平生の練習を試合と心得て、いつもベストを尽してやるべきである。テニスに徹すれば、そこに哲学もあれば禅もある。

テニスは巧くなり強くなることを目指すのはいうまでもない。テニスは巧い球を打って、試合に勝つことだけではない。テニスの大きな目的の一つは、フェアプレーをしスポーツマンシップを発揮することにある。そこに勝敗を越えた「グッドルーザー」の所以がある。これが本当の眼目だと思う。

だからコートマナーを立派にすべきだ。徒らに判定に対して不服な態度を取るな。判定は審判がするので、自分がするのではないエラーにして怒って、ボールを叩きつけたり、打ち飛ばしたりするのは悪いマナーだ。自制心のない証拠である。テニス眼のある人に笑われるだけである。

時間を厳守して決し遅刻しないようにする。止むを得ず棄権する時は、必ず通知して無断で棄権しないようにする。君達は必ず庭球規則を知っておいて、規則に従ってプレーするよう努力せよ。ラインを踏んでサーブするようなことは、規則違反である。フェアプレーの精神に反する。テニスはフェアプレーの立場において、行われるのだ。ケイレンを起して休んで、プレーできると思ってはいけない。プレーは継続すべきである。ケイレンを起したことは、既に体力的に負けているのである。試合は技術だけで戦わすのではなく、体力もそれに含まれているのだ。このことを忘れるな。

スタンドにおいての拍手は、自他にかかわらず、“グッドショット”にのみすべきである。度を越えた応援は醜態である。君達は平生の練習で、インとアウトを正直に判定するようにせよ。こんなことは瑣細のようだが、これはフェアプレーの大きな問題につながり、大事なことなのである。

要するに君達は、フェアプレーを体得した立派なテニスプレーヤーになることだ。テニスを通じて、本気な人間になることだ。いい人間がいいテニスを生むと私は思う。コート上でもコート外でも立派なスポーツマンに、君達にはなってほしい。



すべてはこの言葉の中に詰まっていますね。
一言一句無駄な言葉はありません。
自分が行き詰ったとき、自分が天狗になったとき、自分が悩んだとき、常にこの言葉を読み返して下さい。
これこそがテニス部員としての理想のあり方であり、人として理想の生き方です。



12月19日(日)07:45 | トラックバック(0) | コメント(0) | スポーツ | 管理

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