日本ブライト旅行社長のブログ
 
栃木県佐野市の旅行会社社長のひとり言です。
 


臨時総会開催

栃木県旅行業協会県南地区会の平成22年度臨時総会を開催しました。

12月9日に行った地区役員会を経て、本日開催されました臨時総会は、任期満了に伴い県南地区会より理事選出と地区役員(班長・監査)の改選についての承認が重要議題として図られました。

次年度、副地区長に選出・承認をされ、地区長や他の理事、役員の方と地区会運営を任されました。

栃木県旅行業協会187会員を3つの地区(県北・県央・県南)に地域毎の運営になります。
県南地区会は、本日12月21日(火)現在で、64会員となります。

勉強熱心な新地区長のもとに、様々な勉強会(研修・視察)を組み込み旅行業界の底上げ及び資質向上を微力ながら担うことになるよう努力をしていきたいと思います。

理事・役員については、地区会による選出と承認になりますので、支部理事会及び総会にて正式発表となります。

その他議題は、地区編成。海外旅行研修、旅行業取扱管理者研修、国内旅行地域活性化フォーラムなどの参加について確認などでした。

お疲れ様でした。



栃木県栃木市は、下駄の日本三大産地のひとつに数えられており、北関東一帯に産する野州桐は会津桐とともに、質が高く、江戸時代より栃木下駄は有名でありました。

この桐下駄を利用して作られたのが「民芸ミニ下駄」です。蔵の街とちぎのお土産として、蔵を建てるほどの財を成すようにとの願いを込めて「蔵下駄」を赤子に履かせると足が丈夫になるとの言い伝えがあることから「力下駄」の愛称があります。



栃木市を中心とする一帯は、野州桐の産地であり、材料の入手も容易なことから下駄作りが始まりました。

文献によれば、安政の大地震(1855年江戸を中心に発生した大地震)で江戸市中が灰と化した際に、栃木の桐下駄が大量に移出され、その後、明治から大正なかばまで、手作りによる下駄が東京中心に出荷されていたが、大正12年の関東大震災の救援物資として、大量に出荷されたことが刺激剤となり、生産の機械化が始まったそうです。

昭和に入り、大部分の業者が機械化を果たすと、技術的にも急激な進歩が現われ、産地としての形態も整い始めた。戦前の昭和17年には、市内の履物商120名が奉納した記録が太平山神社境内に残っているそうです。



12月21日(火)20:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 県南地区会理事 | 管理

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