日本ブライト旅行社長のブログ
 
栃木県佐野市の旅行会社社長のひとり言です。
 


幻の作品と大人の作法

2007年に、江戸時代の浮世絵師、喜多川歌麿(1753~1806年)が描いた幻の肉筆画「女達磨(だるま)図」が栃木県栃木市の民家で見つかり歌麿ファンは驚いています。歌麿の作品は版画が2000点以上残されているが、肉筆画は30点ほどしかないそうです。

女達磨図は、昭和初期の資料に残されていたが、写真もなく幻の作品とされていた「女達磨図」は、赤い達磨の扮装をした遊女の上半身を描いた作品です。目鼻立ちや髪の描き方から、専門家の鑑定で歌麿の肉筆画と確認された。

所有者の女性の夫が25年程前前に、廃品回収業者から3000円ほどで購入したという。現在は、女性の申し出により、作品保護のため、とちぎ蔵の街美術館(栃木市)に預けられています。

もっと驚いたのは、その「とちぎ蔵の美術館」のポスターです。

とちぎ蔵の街美術館 癸生川コレクション 

志野・瀬戸黒・黄瀬戸に現代的な感覚をとり入れた加藤孝造と「蝋抜き」、「流し掛け」などの技法を用いて身近なモチーフを絵付けした浅野陽らの作品を中心に展覧する。また、彼らの先達であり、近代陶芸の出発点ともいえる時期に中心的役割を果たした板谷波山や彼の指導を受け、益子を拠点とした濱田庄司、京都市立陶磁器試験場で濱田と共に釉薬の研究に携わり、民藝運動の推進に努めた河井寛次郎など、近代を代表する陶芸家たちの作品もあわせておよそ50点を展覧し、その多様な表現を探る癸生川コレクションです。

この作品どこかで?
癸生川コレクション?


自動車教習所、自動車整備会社、不動産会社などの実業家である癸生川榮一氏です。

時は、1980年代後半~1990年代初頭にかけてみられた好景気のバブル時代の頃です。
もう20年も前の20代の頃にお世話になった方でした。
社員旅行やお仲間の旅行で、ご使命を頂きました。

自宅で、高価なものを拝見させて頂きました。
20代の私に価値がわかる筈もないが、大人の作法を教えて頂きました。今思うと不思議な感覚です。
栃木市の発展の中心になる錚々たる人物をご紹介頂き、感謝致します。

「時は金なり、商売は、時間を守ること」。

驚きました。



【喜多川 歌麿】

歌麿は、北斎、広重、写楽と並び、世界的に知られている浮世絵師です。浮世絵の黄金期に、美人画絵師として活躍しました。しかし、その生涯については、実はよくわかっていません。

初め、狩野派の町絵師・鳥山石燕に学びましたが、版元・蔦谷重三郎に見出されて後、天明期より黄表紙の挿絵や錦絵を手がけるようになります。寛政期に入り、評判の町娘や遊里の女性たちを魅力的に描き、浮世絵美人画の第一人者としてその名を知らしめました。

寛政の改革下、様々な表現の制約にも屈することなく、常に新しい表現手段を模索し続けましたが、文化元年(1804)、風紀取締りの処分(一説に入牢3日、手鎖50日の刑)を受け、その二年後にこの世を去りました。



【葛飾 北斎】

北斎は、宝暦10年(1760)江戸本所割下水に生まれました。19歳で勝川春章に弟子入りし、翌年には春朗と名乗り勝川派風の役者絵を発表。その後、和漢洋の絵画の各流各派を学び、様々なジャンルの浮世絵を手がけ、独自の画風を確立していきます。

他の絵師に比べて遅咲きの絵師であり、北斎の名を不動のものとした「富嶽三十六景」を手がけたのは、七十歳を過ぎてから。森羅万象あらゆるものの真を描くことに執念を燃やし、老いてなお、その制作意欲は衰えることなく、九十年の生涯で、数多くの作品を残しました。

1999年、米ライフ誌が選んだ「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に唯一選ばれた日本人であり、近年最も注目を集めている浮世絵師です。



【歌川 広重】

広重は、寛政9年(1797)江戸八代洲河岸の定火消同心・安藤源右衛門の子として生まれました。

幼少より絵を好み、15歳のときに歌川豊広の門下となりました。初め、美人画や役者絵を描きましたが、やがて「東都名所」のシリーズを皮切りに、数々の風景画を制作、人気絵師として名を馳せます。天保年間に保永堂から出版された全55図の「東海道五十三次」が大ヒットし、以降数々の東海道の風景画を描きました。

花鳥画にも詩情溢れる優品を残し、最晩年に手がけた一大連作「名所江戸百景」では、四季折々の江戸の風景を、独特の視点と豊かな感性で描き出しました。

同シリーズは、ゴッホが模写したことでも知られています。



【東洲斎 写楽】
寛政6年(1794)彗星のごとく浮世絵界に登場した写楽は、わずか10ヶ月の期間に、140数点に及ぶ浮世絵を世に送り出し、忽然と姿を消しました。

写楽の活動期間が短かいのは、役者の個性を、美醜を問わず描いた迫真の描写が、当時の人々に受け入れられなかったからとも言われています。

しかし、躍動感溢れる役者絵は現在の我々の目にも今なお新鮮です。

20世紀初頭、ドイツの心理学者ユリウス・クルトによって、レンブラント、ルーベンスと並ぶ三大肖像画家の一人として紹介されるなど、海外でも高い評価を得ています。

写楽の正体には諸説ありますが、今なお謎に包まれた浮世絵師です。


浮世絵師の多くは職業画家として、人々の要望に応じ、人気の人物・話題の場所などを描き、その絵を職人たちが版画にします。

商品化のために描くものなので、浮世絵師の仕事はデザイナーに近いと言えます。



6月14日(月)07:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | 美術館・博物館 | 管理

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