訃報と通夜・・・参列して |
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| 一昨日、訃報が届いた。 小学校のPTA常置員委員会役員のお母様がお亡くなりになられたと。
今月は、16日(木)、20日(日)の通夜に続き、訃報が続きます。
昨日理事会で宿泊した栃木県日光市鬼怒川温泉より、佐野市に戻り、打合せ後にお通夜に向かう。 場所は、弊社より車で約5分。JAの施設。
到着後、弔問記帳・受付を済ませるとスタッフの方が「コートを預かりますか?貴重品をお持ちになって下さい。」と声を掛けて頂き、席に案内され、喪主(PTA常置委員)様とご挨拶を下さいました。
通夜は、近親者が死者と共に一夜を過ごすことで邪霊の侵入を防ぐと言われ、故人との最後の別れを惜しむための儀式です。本来、夜通しで行うとされるが最近では夜6時頃から9時頃までが多く、一般の参列者を招き僧侶の読経も1回のみという形の「半通夜」にする場合が多い。その後は、翌日の葬儀まで、近親者が夜通し付き添うのが習わしになっています。
通夜の前には、生前の写真ををDVDで作成し、司会進行役の女性がナレーションを入れて紹介されていました。 これは演出の一つだと思いますが、生前の思い出が参列者の涙を誘います。
また、線香、蝋燭を絶える間が無い通夜ですが、香りと明かりは祈りをとどける大切なものとして、古来より伝えられてきましたが、煙や炎の揺れに何とも人生や現在の心境の様なものを感じます。
線香が日本に伝来した時期は、はっきりしないそうですが、一般に用いられるようになったのは江戸時代以降でとのこと。江戸時代では、時計代わりとしても使用され、禅寺では線香が1本燃え尽きるまでの時間の約40分を一炷(いっちゅう)と呼び、坐禅を行う時間の単位としたそうです。 ※一般的に、参列者の焼香時間がこの一炷れにあたる。
揺れる灯り。 そして、人生を象徴するように「蝋燭は、身を減らして人を照らす」という言葉の通りだと思います。
人生は、生きることに意味がある。 人生は、生き続けることに価値がある。 命の尊さを知ること。 生死観を考えることで、人生は大きく変わる。 そんなことを考えさせられました。
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12月22日(火)19:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | 社長日記 | 管理
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