| 10月07日(火)訪問者 |
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・山形県あつみ温泉 萬国屋 営業部 課長代理 榎本典雄様
プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選「おもてなし部門4位受賞」、そして「総合8位受賞」の和風旅館
あつみ温泉は、山と海に囲まれた温泉郷です。 宿からは、緑の山々が眩しく目に映り、温泉街を流れる温海川の水音が爽やかな雰囲気を醸し出しています。
また、あつみ温泉の風物詩にあつみ温泉朝市があります。
名物の赤かぶなど農産品や水産加工品・日用品を湯治客相手に商うことから始められ今でも、温泉宿の下駄を突っ掛けて、カラコロと音を立てながら朝市を楽しむ温泉場の風物詩は古くから受け継がれている日本特有の素朴さと味わいのある情緒を感じとることが出来ます。 ※最近は、ちょっと違う雰囲気も・・・。
「私の笑顔はお客様の幸せそうな笑顔から作られているのだと思います」300年間守り続けられているその哲学とは「正確性」と「ホスピタリティ」です。「当たり前の事を心温まる親切心とともに」それが萬国屋の、おもてなしの心です。 
資料請求 山形県あつみ温泉 萬国屋http://japanese.metro.seoul.kr/chungaehome/seoul/main.htm
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・東京都渋谷区神宮前 ブルースカイ・ツアー 東日本営業部ホールセール営業課 チーフ 佐藤功一様 チーフ 武田善晴様
主な取扱いは韓国・中国のホールセーラーです。 東日本以外は、中部・関西・九州に営業部を置き日本で活動をしている会社です。
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今回は、社内の移動があり弊社の担当を佐藤様から武田様に引き継ぎのご挨拶に来店下さいました。
今年度は、中国方面の業績不振、北京オリンピックの特需はなかったそうです。
メインは、韓国エリアがもともと得意のブルースカイ・ツアー様。
韓国の首都ソウルにある「清渓川」のように私達旅行業界も復活せねばと思います。
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韓国の歴史と歩む清渓川
1960年代以前 李氏朝鮮初期以来、周辺住民の生活排水が流入する下水道代わりの川として利用されており、浚渫・護岸工事がたびたび行われていた。 日本による植民地時代と朝鮮戦争を経て、多くの難民が押し寄せ、清渓川周辺は貧民街となる。
1960~70年代 韓国の目覚ましい経済成長・都市開発に伴い、清渓川の水質汚濁が悪化。 それらを解決するために、広橋~五間水橋までの区間を埋め立て、その上に清渓高架道路を作った。 こうして清渓川一帯は都心産業の中心となっていく。
1980~90年代 高架道路を走る車の排気ガスなどによって、清渓川の汚染が深刻化。 高架道路も老朽化が進んだため、市民の安全に対する憂慮が生じはじめる。
2000年以降 清渓川復元の世論が高まったことを受け、2003年7月から2005年9月にかけ、老朽化が問題となっていた清渓高架道路の撤去と、河川の復元工事が行われた。 そして2005年10月1日、約40年間道路の下に隠されていた清渓川がその姿を現した。
清渓川は、1394年に朝鮮王朝の都がソウルに定められて以来、都城の中部を地理的に分け、そして政治、社会、文化的に区分する象徴的な境となっていた総延長10.92kmの都市河川であり、ソウルの中心部を流れていた川であるが、20世紀の半ば、急激な経済発展の中、5.4kmにわたって高架道路がかけられ、ふさがれてしまっていた。
2002年のソウル市長選に出馬した李明博(イ・ミョンバク)氏が選挙公約の一つとして、「清渓川の復元」を掲げ、2003年7月に着工すると、わずか2年半と言う短期間で、実現してしまったその思い切りの良さと、スピード感には驚くばかりである。
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清峡川工事 “まち”づくりというのは、そこに関わる人々が自由に利用してはじめて意味があり完成します。
多くの人にとって、いわゆる”まち”づくりそのものはそれほど意味を持たないと思われます。
目に見えない、多くの要因。 複雑に絡み合うそれらを、如何に”まち”づくりをするのか?
それは、当然、都市プランナーだけの領域ではない。 そう、”まち”は、市民の新しいクリエイティブを求めているはずです。
清峡川も人が必要とする自然環境や交流の場として、あるリーダーの行動と実行力が短期間で変えた。
私達も流行りの低価格競争に早く終焉を求める創造性を引き出し行動をとりたいと思います。
温海温泉も道路工事に伴い桜並木の一部が伐採されたとお伺いしました。 便利や新しい変化を求めるとき何かを失うのですね。
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10月7日(火)22:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | visitor | 管理
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