日本ブライト旅行社長のブログ
 
栃木県佐野市の旅行会社社長のひとり言です。
 


修学旅行 鎌倉・江ノ島  2 班別行動

本日は、七五三や菊祭りとあいまって参拝者が多かった鶴岡八幡宮を後に建長寺へ

【建長寺】
〒247-8525 
神奈川県鎌倉市山ノ内8 電話0467-22-0981

鎌倉五山第一位「臨済宗建長寺派 大本山 建長寺」
建長5年(1253)北条時頼が蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)を開山として創建した、わが国最初の禅の専門道場。 最盛期には塔頭が49院あったが火災により焼失し、現存する建物は江戸時代以降に再建または移建されたものであるそうです。
総門、三門、仏殿と一直線に並ぶ伽藍の周囲を10の塔頭寺院が取り囲み、寺宝も豊富で木造漆塗りの須弥壇、木造北条時頼坐像などの国重文がある。絵画、書の優品も多数。境内は史跡です。

建長寺では、アリとキリギリスの石井さんとNEWSの加藤さんが撮影していました。
※石井さんに直接、写真撮影の交渉をしたところ快く応対をしていただきました。

また、児童の方が帽子を見学中に紛失。受付の方に紛失届を出したところ、夕方に私どもに連絡が入り、翌日私が引取に行き本人に渡すことができました。
ありがとうございました。(鎌倉の人が親切と言われる所以でしょうか?)



H班のお友達と班別行動を建長寺からスタート。

建長寺-浄智寺-葛原岡ハイキングコース-葛原岡神社-日野俊基の墓-銭洗い弁天-佐助稲荷-高徳院(鎌倉大仏)




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横須賀線の踏切手を通過・左手の奥まった所に「浄智寺」がある。参道に入ると正面に総門が見え、左手の道が葛原岡ハイキングコースに続いています。

寺の左手の道が葛原が岡ハイキングコースの入り口で、舗装された人家の間を真っ直ぐに行くと山道に入ります。
道は判りやすいが踏み荒らされて、木の根が露出している所が多く足元に注意しながら進む。

中間あたりの小山に天柱峰と刻まれた石柱が建っていて、奥に五重の多層塔が建っている所を過ぎると、険しい道はなく、後は比較的ゆるやかです。山道に入ってから20分ほどで葛原岡に着く?やっと着きました。
(この天柱峰と言う名前は、昔中国から来日して浄智寺に滞在していた僧が付けたものらしい?)
【葛原岡神社】
明治時代(1887)に日野俊基の霊を祀るために創建されたもので、境内の広場から少し奥まった少し高くなった所に、簡素な社殿が建っています。

「国指定史跡 日野俊基墓 指定昭和2年4月8日 日野俊基は鎌倉時代末期の朝臣、後醍醐天皇につかえ倒幕計画に参加した。正中の変(1324)に捕らえられ、許されたが元弘の乱(1331)の時、再び捉えられ鎌倉に送られて、翌年ここ葛原岡で処刑された」と書かれている。
・桜の名所としても賑わう源氏山公園にあり、景色と自然を楽しめる神社です。



社務所前のベンチで一服してると、管理人のおじさんが神社の横の畑に咲く冬桜を教えてくれました。
10月桜と案内が書いてあります。
この季節に桜が見られ児童の皆さんは喜んでいました。

晩秋から冬にかけて境内にある無患子(ムクロジ)の木の実で作ったお守りが大人気です。
(この木の実は一般的に羽子板の羽の玉に使われています。そして、転んで手が汚れた児童の方に、無患子の皮を石鹼がわりにしなさいと渡してくれました。ほんと泡がたち石鹸の様です。)

全員に袋にムクロジを入れてプレゼントしてくださいました。

ムクロジを漢字では「無患子」と書きますが、患う子どもが無いのですから理想的で、縁起がいいですね。...病やケガと無縁の世の中を作っていけますように……。



葛原岡神社から徒歩6分で銭洗弁財天へ

正式名は銭洗弁天宇賀福神社。
御神体を祭る洞窟の水には、源頼朝が巳の年、巳の月、巳の日 の夜、夢枕に現れた老人のお告げで岩から湧き出る霊水を発見し、社を建てて宇賀福神を祀っ たという伝説があります。
この霊水が鎌倉五名水のひとつである「銭洗水」。

この水でお金を洗う と10倍にも100倍にも増えるといわれる。巳の日ともなると多くの参拝客が訪れ、小さなザ ルにお金を入れて洗う姿が絶えないところです。



再集合の高徳院(鎌倉大仏)へ

全員で拝観、記念撮影。
予定より早く到着。ひと安心です。



11月16日(金)00:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | 添乗報告  | 管理

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