日本ブライト旅行社長のブログ
 
栃木県佐野市の旅行会社社長のひとり言です。
 


修学旅行 江ノ島へ

早朝、冬が間もなく訪れる気配がする肌寒さ。
元気よく児童の皆さんが予定の集合時間より早くお集まりになり出発を迎えました。

保護者の皆さんも愛おしそうな眼差しをホームへ注いでいます。

さあ!修学旅行の始まりです。午前06時35分・・・



【高徳院(大仏殿)】 
鎌倉駅から江ノ電に乗ると5分で到着。
00.12.24.36.48と12間隔の出発時刻で憶えやすいです。
江ノ電は、なかなか情緒のある電車でファンも大勢いるといいます。
江ノ電の長谷駅で降りて、歩いて8分程で、大仏のある高徳院に着く。

山門
高徳院は、詳しくは大異山高徳院清浄泉寺という浄土宗の寺院である。「鎌倉大仏」として知られる国宝の銅造阿弥陀如来坐像を本尊とする。開基と開山はともに不詳である。

寺は、当初は真言宗で、鎌倉・極楽寺開山の忍性など密教系の僧が住持となっていた。のち臨済宗に属し建長寺の末寺となったが、江戸時代、正徳年間(1711-1716年)に江戸・増上寺の祐天上人による再興以降は浄土宗に属し、材木座の光明寺(浄土宗関東総本山)の末寺となっている。

【鎌倉大仏=銅造阿弥陀如来坐像(国宝)】
大仏は青銅製で、台座を含め高さ13.35メートル、顔の長さ2.35メートル、目の長さ1メートル、耳の長さ1.9メートル、重量約121トン。
東国にも大仏を造ろうとした源頼朝の遺志を受け継ぎ、仕えていた稲多野局が計画したといわれる。
大仏は、鎌倉幕府第三代執権・北条泰時の晩年になってから作り始めた。
「吾妻鏡」によれば、北条泰時の時に、淨光という僧が諸国を勧進して浄財を集めて歩き、暦仁元年(1238)3月から大仏と大仏殿を造り始めた。
北条泰時もその建立に援助をした。
そして大仏開眼は5年後の寛元元年(1243)6月11日に行われた。
泰時は前年の6月に62歳で亡くなっていた。
しかし、最初の大仏は木造であったため台風によって崩れてしまい、その後建長4年(1252)から青銅の大仏が鋳造された。
このとき一緒に建立された大仏殿は、室町時代、大地震による津波で海に流された。
津波で寺も流され、長く廃寺と化していたが、江戸時代の正徳2年(1712)、増上寺の祐天上人が豪商野島新左衛門の協力を得、寺と大仏を復興し、現在に至る。
大仏は体内が空洞になっており、中に入ると頼朝の守り仏や祐天上人像を見学することができます。

江ノ電長谷駅から徒歩8分
7時~17時半(10月~3月)
7時~18時 (4月~9月)
体内見学8時15分~16時15 分

拝観料 大人200円(体内見学20円)
※ 今回、ハプニングもあり、戸澤様という方に大変親切にしていただきました。ありがとうございました。



・紀伊國屋旅館
〒251-0035 神奈川県藤沢市片瀬海岸1-13-16
蒼い海、美しい海岸線、数々の名所旧跡など、歴史と自然に囲まれた江ノ島片瀬海岸に位置する紀伊国屋旅館は、アットホームなおもてなしで児童の皆様に親しんでいただています。



【新館が、来月からオープン】
ほてる彩夏リニューアルオープン!!(12月予定)

湘南、江の島入口の「紀伊国屋旅館」がプロデュースする“素足でくつろげる”新しいカタチの「ほてる」です。和洋折衷の空間が新鮮な「ほてる」となっておりまして、あえて必要以上の接客はいたしておりません。



新鮮な食材をふんだんに使用した、最もスタンダードなお膳です。
お品書きですが前菜・焼物・お刺身・酢の物・揚げ物・煮物・鍋物の全7品でございます。

海の近くで料理に期待がすると思います。
美味しいものをたくさん食べて、2日目に備えて下さい。



11月8日(木)23:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | 添乗報告  | 管理

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