日本ブライト旅行社長のブログ
 
栃木県佐野市の旅行会社社長のひとり言です。
 


阿久悠 甲子園の詩「大逆転」

1990年(平成2年)8月13日(第3試合)
甲子園の戦い・2回戦 山陽(広島)VS葛生(栃木)

「甲子園の詩」 大逆転
 
 ドラマの作家が
 劇的展開の知恵をしぼって
 この台本を持って行ったら
 おそらく
 お膳立ての整い過ぎた絵空事だと
 却下されてしまうだろう
 現実はドラマのように運ばないと
 リアリティが壁になって
 このドラマは陽の目を見ない
 しかし
 甲子園に限って云えば
 絵空事がリアリティを超えることが
 何度も何度もあって
 だから
 誰も彼もが熱中し
 現実の隙間の光を見ようとするのだ
 山陽高・葛生高

 まさに絵空事そのものの
 あり得ない展開で山陽が勝った
 八回を終わって90%の人が
 九回二死となって100%の人が
 もう葛生の勝利を確信し
 腰を上げた次の瞬間
 面白すぎることが欠点のドラアマが
 始ったのだ
 一点差、二死満塁
 カウント、ツースリー
 何から何まで整った条件の中で
 結果もまた
 奇跡の大逆転の快打が飛ぶというもので
 勝者も 敗者も
 興奮のどよめきの中で
 ただ呆然とした
 
 あと一つのアウトを残して
 一体、甲子園の空に
 何の風が吹き過ぎていたのだろうか

 “二死から”というのは、むしろ、この日
 の葛生の特徴だった。
  六回の勝ちこしにしても、八回の、一時は
 ダメ押しと思われた得点も、簡単に二死を取
 られた後から鮮やかな足の攻撃を見せて、奪
 っている。
  いわば、“二死から”は、葛生が作り出し
 たこの試合におけるペースだったわけだが、
 それが、最終回、相手側にまわるなどとは思
 ってもいなかった。
  ぼくの情緒的スコアブックには、冷静な早
 川投手の投球や、生沢宏選手の見事な脚や、
 葛生礼賛もメモが書き列ねてあったのだが、
 そのチームが敗れたことに不思議な気持ちに
 なっている。
  月の引力で潮の滿干があるように、たしか
 に夏の甲子園には何かの引力が作用し、今年
 は、殊の外それが激しく、大逆転の異常引力
 が満ちている。
 
葛生高等学校長 永井成雄先生(現 青藍泰斗高等学校理事長)に作家 阿久悠先生から贈られた「甲子園の詩」です。生徒様(開会式・全校応援バス50台)の輸送を取扱させていただいた縁で、このコピーを頂きました。
http://www.aqqq.co.jp/ 
 
沢田研二の「勝手にしやがれ」やピンク・レディーの「UFO」などのヒット曲を手掛け、昭和歌謡界の黄金期をリードした作詞家で作家の阿久悠さんが1日午前5時29分、尿管がんのため、東京都港区の東京慈恵会医大病院で死去した。
70歳。今年は作詞家生活40周年。
この日は高校野球の甲子園出場校が出そろった日だった。
作詞家として手掛けた作品は約6000曲。
日本レコード大賞、日本歌謡大賞、日本作詩大賞など多数受賞。
企画、審査員として携わった日本テレビ系「スター誕生!」からは森昌子、桜田淳子、山口百恵の「中3トリオ」ら数多くのスターが生まれた。
作家としては、映画化された「瀬戸内少年野球団」(直木賞候補作)や、「殺人狂時代 ユリエ」(横溝正史賞受賞)などを執筆。
家族を題材とした「家族の神話」「家族元年」、大人の恋愛小説「結婚式」「あこがれ」など作風は幅広かった。

野球をこよなく愛し、79年からスポーツニッポンで毎年、夏の高校野球大会の48試合をすべて見て詩を書く力作の「甲子園の詩(うた)」を連載。
97年、30年間にわたる作詞活動により第45回菊池寛賞を受賞、99年には紫綬褒章を受けた。
昭和の天才が逝ってしまった。

以前、テレビで阿久先生は「大またで歩く男性が少なくなってしまった」と語っていた。



8月2日(木)01:49 | トラックバック(1) | コメント(0) | 社長日記 | 管理

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