日本ブライト旅行社長のブログ
 
栃木県佐野市の旅行会社社長のひとり言です。
 


100th ANNIVERSARY

100年の歴史-旅行業界のパイオニアとして-

創業以来、数々の新しい旅を生み出してきた日本旅行。
そんな日本旅行の歴史は、まさに「日本」の「旅行」史でもあります。
100年の時を経て移り変わっていった旅行業界をタイムトラベルする。
1905年(明治38年)
日本旅行の創業者南新助が高野山参詣団並びに伊勢神宮参拝団を実施。(いずれも参加者100名前後)日本初の旅行あっせん業、始まる。

創業者 南新助が高野山参詣団、伊勢神宮参拝団を実施。
旅の見どころをガリ版刷りでお知らせしました。
1905年(明治38年)、創業者南新助は、高野山参詣並びに伊勢神宮参拝を列車による団体旅行で実施しました。列車の中で旅の見どころをガリ版刷りで配ったり、暑い時には西瓜や力チ割リ、寒い時は粕汁をお出しするなど、旅の道中も含めすべてを楽しんでもらうよう配慮。創業当時から、お客様の楽しみが第一でした。旅にはこんなエピソードも。一般のご家庭では質素な食事が当たり前だった当時、宿の朝食に5 、6品の料理が各自のお膳につくのを見て「まるで婚礼のお膳のようだ」とお客様もご満悦だったそうです。

1908年(明治41年)
日本初、国鉄貸切臨時列車による善光寺参拝団を企画。900名が参加。
江の島、東京、日光、善光寺を巡る7日間の旅行代金は12円80銭。



1921年(大正10年)
日本初の超大型全国規模団体旅行。
比叡山延暦寺開祖傅教大師1100年大遠忌法要団参において、5万人規模の参拝を無事終了。

神戸から鉄道を乗り継ぎ北海道へ。
日本初の大型主催旅行は後々定番に。
1926年(大正15年)5月、鉄道省の後援を受け、神戸発貸切臨時列車で13日間の北海道視察団を催行しました。当時は福島で一泊、青森から函館の連絡船の船中泊と、2日かけての北海道入り。北海道では日本百景のひとつ洞爺湖畔や室蘭港、登別、アイヌの村などを訪れました。
雄大な景色を思う存分堪能し、行く先々の温泉で旅の疲れを洗い流しながらの旅は大変好評で、その後、行程を樺太まで延長。北海道周遊に加え、樺太では乗合馬車で2 、3時間行程の国境見学や、船で海豹島の見物などを行い、毎年約100名が参加する評判の旅行となりました。



1928年
昭和3年 第1回台湾視察団16日間、約100名参加。
旅行代金215円(現在の約60万円相当)。

船に揺られて台湾へ。
昭和3年当時の旅行代金215円。
1928年(昭和3年)10月の第一回台湾視察団が神戸より出帆。基隆に上陸、台北、北投温泉、台中、日月潭、嘉義(植物園)、阿里山、台南、高雄、屏東等を16日間で見学しました。2004年、日本旅行100年目を記念し、「レト口台湾」として当時の旅行代金215円で販売したところ瞬く間に売り切れ、大変盛況となりました。

1931年(昭和6年)
中華民国視察団19日間、約300名参加。
大阪商船アメリカ航路就航「あめりか丸」(6000トン)をチャーター。
船上でスキヤキパーティー開催。

1941年(昭和16年)
戦争拡大に伴い、創業以来30数年にして一時営業中断へ。

1949年(昭和24年)
株式会社日本旅行会として大阪に本社を構え、再スタート。神戸案内所を三宮駅構内に開設(現三ノ宮支店)。

1965年(昭和40年)
海外展開へ。ハワイオフィス設置。

1967年(昭和42年)
創業62年にして、本社を東京へ移転。

1968年(昭和43年)
社名を株式会社日本旅行に変更(英語名NIPPON TRAVEL AGENCY=NTA)。
新団旗、腕章、社員バッチを制定。
海外パッケージツアー「ブライダルツアー」発表。

1969年(昭和44年)
ヨーロッパチャーター機を2ヶ月間で10機飛ばす。
販売価格27万5千~28万8千円。
営業所数250ヶ所に増加。

1971年(昭和46年)
海外旅行企画商品「マッハ」発売開始。
1972年(昭和47年)
国内旅行企画商品「赤い風船」発売開始。
日本旅行即時予約システム「QR(クイックレスポンス)システム」稼働、日本旅行オンライン開業。

1989年(昭和64年/平成元年)
海外支店ラッシュ。NTAパシフィック・アーバイン支店、アトランタ支店開設。
NTAカナダ・バンクーバー支店営業開始。
NTAオーストラリア・ゴールドコースト支店開設。
上海駐在員、フランクフルト駐在員事務所設立。
四つ星の豪華客船オーシャン・パール号をチャーター。

1200名が画面一杯の迫真の演技。大成功のゴジラエキストラツアー。
1993年(平成5年)7月24日、日本初のエキストラツアーは、東宝映画「ゴジラVSメカゴジラ」のロケにお客様が実際に参加されるもの。日本全国から総勢1200名が、幕張に集結されました。ツアー当日はロケ決行も危ぶまれるほどの強い雨。しかしお客様全員で「雨なんかやんでしまえ!」と大声で唱えたのが空に届いたのか雨はピタッとやみ、ロケは無事決行。ロケの前には、ゴジラとメカゴジラのイべントもあり、小さなお子さまたちも大はしゃぎで、ご家族連れの方々に大変好評でした。
1995年(平成7年) 創業90周年。
「BEST PRESENT OKINAWA」バス走行。



1996年(平成8年)
マッハ25周年記念ツアー「五大陸世界一周の旅」ツアーオブザイヤー受賞。
ツアー・オブ・ザ・イヤー’96グランプリ受賞。
専用チャーター航空機で行く世界一周の旅。
1996年(平成8年)マッハ発売25周年を記念した企画「五大陸・専用機世界一周32日間の旅」は、お一人様390万円の旅行費ながら即日完売。
ツアー・オブ・ザ・イヤー’96グランプリ受賞の快挙を成し遂げました。
カナダ・ナイアガラの滝に始まり、メキシコ・マヤ文明、ブラジル・アマゾン川、ケニア・サファリ、インド洋の真珠とうたわれるモルディブ、オーストラリア・エアーズロックなどなど、ダイナミックな世界一周は社会的にも大反響を呼び、97年4月に第二弾を実施しました。



1997年(平成9年)赤い風船25周年記念ツアー「日本一周バスの旅」発売開始20分で完売。
1997年(平成9年)9月11日、赤い風船25周年記念ツアー「日本一周バスの旅」がスタート。
「故郷探し、ふれあいの旅」をコンセプトに、北は北海道から南は沖縄まで地元の人とふれあいながらの25日間の旅です。新橋駅前を出発し、長良川で鵜飼、鳴門で渦潮、こんぴらさん参り、白川郷で合掌造リ宿泊、富良野の収穫祭などを体験し、最終地のタ張では市民の皆様からの大歓迎でフィナーレを飾りました。
2001年(平成13年)
JR西日本TiS本部と統合。旅の総合力が拡大。
2003年(平成15年)
旅の総合検索・予約サイト「旅ぷらざ」スタート。
2005年(平成17年)
創業100周年。

100年と言うけれど100年間の幾重のドラマがあり、重みがあります。
この差は、縮まらない。勿論、越えられない。
ひとりあたりの売上。地域貢献度で超えよう。
恩返しは、それしかない。

100年を越えた老舗。頑張れ!



7月1日(日)19:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | 旅行業界情報 | 管理

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