日本ブライト旅行社長のブログ
 
栃木県佐野市の旅行会社社長のひとり言です。
 


女将が語る塩原の今 2

歴史の強み生かし切れず

「多くの文人に愛された塩原の歴史を生かしていない」。

 1536年創業と伝わる老舗「和泉屋旅館」女将の田代真知子さんは静かに話す。
 和泉屋旅館には、野口雨情や竹久夢二らが宿泊し、「文学亭」と名付けた別館に、当時の写真などを展示している。尾崎紅葉が宿泊した旅館「清琴楼」も、紅葉が滞在した部屋を見学者に開放している。
 だが、これらは個々の旅館単独の取り組みで、「文学の温泉地」として塩原を全国にPRする活動は、ほとんどない。
 こうした「財産」を生かし切れていない理由を、田代さんは、「何もしなくても団体客が来た」バブル期に、「安穏として、地域ぐるみの誘客活動をしなかった」ツケが回ってきたと分析する。「今後は、もっと文学を前面に出したPRをするべき」というが、青写真は描けてはいない。

 こうした現状を象徴するのが、2003年に開館した「塩原もの語り館」だ。
塩原ゆかりの文人たちを紹介する施設だが、特別な企画展が行われたことは一度もない。温泉街のあちこちには、35の文学碑も建立されたが、集客にはつながらず、塩原の強みを生かせていない。

 一方、独自の闘いを展開している女将もいる。
温泉街から離れた山中にあり、農業も営む「たちばな家」の女将、君島いつさんは、宿泊客に自分の畑で採れた野菜や手作り豆腐を提供するなど、独自色を打ち出している。
 君島さんの家は、特産の高原大根などの生産農家だったが、1987年、自宅を改装して旅館を始めた。当初は好景気で、近くの数軒の農家も旅館を始めたが、バブル崩壊とともに、ライバルは次々と撤退していった。
 君島さんは、塩原の女将の中では最高齢の1人だが、名物の手作り料理の味は、今も君島さんが目を光らせ、旅館を手伝う長女夫婦に「お袋の味を伝える」べく全力を尽くしている。

 塩原最大規模のホテルの一つ「ホテルニュー塩原」元女将の岡部瑞穂さんは、約35年経営に携わり、女将の会を拡充するなど、発言力も大きかった。
 かつてはニュー塩原の売り上げを伸ばすため、館内にバーや土産物店を造るなど、設備投資競争の先頭を切ったが、「これが町中の土産物屋などの廃業を招いた」(関係筋)との批判も根強い。
 結局、ホテルは、身の丈を超えた投資が過剰負債を招き、「団体客向けの経営を方向転換出来なかった」こともあり、05年3月には、足利銀行や整理回収機構などから金融支援を受けることが決まって、岡部さんは女将の座を追われた。
 その後、昨年4月に市議に初当選し、「空き家対策などに力を入れ、温泉街にかつてのにぎわいを取り戻したい」と話す。経営者時代の反省を基に、塩原全域の活性化を実現できるか、手腕が問われる。



1月6日(土)23:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | 旅行業界情報 | 管理

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