日本ブライト旅行社長のブログ
 
栃木県佐野市の旅行会社社長のひとり言です。
 


女将が語る塩原の今

 那須塩原市の塩原温泉の旅館やホテルは、年末・年始を過ごす温泉客を出迎える準備で大忙しだ。
昨年が開湯1200年の節目だった塩原温泉は、「復権」に向けた努力を重ねてきたが、苦しい状況が続いている。

平成不況をくぐり抜けてきた女将(おかみ)たちの、取り組みと苦悩は、どうだったろうか。

全国への「武器」見いだせず

「松楓楼松屋」は、年末年始に女性の宿泊客を増やそうと、初の女性限定プランを始める。
 女将の田代純代さんは今、プレゼントする化粧品などを入れたポーチの準備の真っ最中だ。

開湯1200年の節目だった昨年は、温泉街を挙げて多くの記念事業に取り組んだが、宿泊客数が増えるような効果は出ていない。
 ただ、10月9日の開湯1200年祭では、和服姿の女将約20人がずらりと並んで観光客を出迎えた。塩原温泉観光協会の土屋充生専務理事は「あれだけの女将が集まったことは評価できる」と話す。

中小の旅館・ホテルが多い塩原温泉では、重要な「働き手」である女将が、外部で広告塔の役目を果たす余裕は、ほとんどなかった。こうした「伝統」に変化が見え始めたのは3年前、田代さんが、「塩原温泉女将の会」の会長になってからだった。

 田代さんはまず、「自ら率先して本音を言える」関係を築こうとした。当初は「若手が何を言うか」などと風当たりも強かった。だが、会の中心層が50~60歳代から30~40歳代に若返り、「女将同士の風通しが良くなり、イベントにも積極的に参加するようになった」(塩原温泉観光協会)。

 ただ、若手の台頭に、「助言できる雰囲気じゃない」と、女将の会を離れたベテランもいた。
 地盤沈下が進む塩原の復活には、「上の世代とどう連携するかが重要」なだけに、先輩女将にも会への参加を粘り強く呼びかけるなど、世代間の「溝」を埋めるのに必死だ。

女将の会の枠を飛び出す若手も出始めた。
「梅川荘」若女将の若色晶子さんは、塩原温泉旅館協同組合青年部にも参加している。「女将の会だけでは分からないことが多い」からで、「遊歩道の整備など、自然の良さをPRするべきだ」と青年部の会合で発言するなど、塩原の将来像を模索している。

 こうした自由な雰囲気が広がる中で、目玉施設として那須塩原市が造った足湯公園「湯っ歩の里」についても、「宿泊客の増加にはつながらなかった」と公言する女将が出始めている。

 「光雲荘」女将の君島香さんは2001年、塩原で初めて足湯を造り、足湯につかりながらの温泉卵やせんべい作り体験を企画するなど、プラスαの魅力作りに努めている。
 そんな君島さんにとっては、無料の足湯が温泉街にあるのに、「湯っ歩の里は有料で、夜間には利用できず、宿泊者が楽しめない」不完全なハコモノにしか見えない。
 だが、これに代わる塩原の持ち味は、「自然の良さ」といった漠然としたテーマにとどまる。

 旅行会社の社員だった田代さんも、「塩原を改めて全国にPRする“何か”が必要」と意識してはいる。
 だが、全国の温泉地に対抗できる塩原ならではの「武器」は見いだせていない。



1月6日(土)23:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | 旅行業界情報 | 管理

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