日本ブライト旅行社長のブログ
 
栃木県佐野市の旅行会社社長のひとり言です。
 


カレンダー

2002年版 カレンダー The Art of Schaer / Mils
       シィファー/マイルズ作品集 
夫婦で描く自然美。輝きを取り入れ鮮やかな作品。

2003年・2004年・2005年・2006年
ピーター・モッツ
[ ピーター・モッツ : Peter Motz ]
1934年オランダ、ロッテルダム生まれ。
幼少よりカラーコラボレーションに魅了された彼は長年をかけその独自のスタイル、テクニックを磨き上げた。彼の作風はバーグ派とラーレン派をうまく混合しながらも、その独特な画風(枠を飛び出すような画風)を確立した。彼の自然に対する愛情・やさしさは彼独自の庭風景画に顕著に現れている。2003年6月永眠。



2007年度版 藤城清治 影絵 永遠の愛

東京に生まれる。慶応普通部入学。海軍で九十九里浜の海岸防備へ。人形劇を、部下の少年兵たちとも行う。戦後再び慶応へ戻り、本格的に人形劇に取り組もうと考えていた時、人形劇の本と出会う。筆者・小沢愛国氏を訪ね、その時に見せてもらったジャワの影絵人形にすっかり心を奪われ、影絵の世界へ。身の回りのあき箱や包み紙などを使って、手作りの影絵劇を子供たちに見せ始める。同じ頃、猪熊弦一郎氏に絵画を習う。黒を生かす所などモダンな作風に藤城氏が受けた影響は大きい。
人形と影絵劇団ジュヌ・パントルを結成。慶応大学経済学部卒業。テアトル系の映画会社の宣伝部に入社。アメリカ映画は映画のカット割りや画面の構図など、かなり勉強になったと話す。花森安治氏が創刊した「暮らしの手帖」で人形劇の写真を連載するよう勧められる。その3号目の打ち合わせの時に突然停電になり、ローソクの明かりの中で影絵の話が出て、影絵を連載することに。
最初の影絵絵本「ぶどう酒びんのふしぎな旅」出版。この時期体をこわし、会社を辞職、影絵一筋に創作していく決心をする。朝日新聞に毎日曜日影絵を連載。何でも好きなように描いてほしいといわれ、こびとが頭に浮かんできたのだという。大阪ロイヤルホテルで影絵展を開き、以後毎年の定期開催に。一度思わぬハプニングで影絵を破られたことがあり、ショックで数日寝込んでしまう。外務省派遣文化親善大使としてアラブ等を訪問、影絵劇を上演。この時の公演は思い出深いものであったと、氏は今でも回想している。春の褒章で紫綬褒章を受ける。イタリアで開催の国際船と海の博覧会の公式ポスタ-を制作。
同年、昇仙峡影絵の森美術館完成。春の叙勲で勲四等旭日小綬章を受ける。



12月5日(火)16:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | 社長日記 | 管理

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